人の生きる理由は幸福であるため、ではない?
行動の全てが幸福に続いていることから、生きる理由を幸福であるため、と定義したが、もし、行動によって生きる理由を達せられなかったら?
神が存在して、人をつくった理由は分からない、というのは含めずに、人には、人が生きる理由を観測できなかったら?
人の持つ本能、人に限らず、生物が普遍的に持つ本能。生存の欲求が、絶対と仮定すると、自害する人間もいるわけだから、人の生きる理由は、生きるためではない、死ぬことによっても、達せられるものなのだ。
行動の全てが幸福に続く、これはきっと正しいだろう。では行動が生きる理由に続く根拠は? 分からない。なにもかも失った。得たものは、人には、人が生きる理由を観測できないかもしれないということだけ。
これで人が幸福である必要もなくなった。かと言って、不幸である必要もないのだから、人は幸福でありたい、というような姿勢は、そのままでも良いと思う。