普通とはなにか。理想という指標。〜太宰治『斜陽』を添えて。
※本は未読。
いわゆる健常と異常に、優劣のようなもの、特別な性質はないとする内容なのだと思う。
それと論点は外れるのだが、発展として、健常と異常には、優位性があるかもしれないということを考えていく。
理想、そして健常と異常
我々には理想がある。理想の人物像は? と問われたとき、あなたは何と答えるか。
真面目、親切、明るい性格。と、聞いて、否定できるところがあるだろうか。これらは決して、なくてはならないものではない。ただ、あった方が理想的かもしれない、というものではある。
上記にあげた理想像は否定しようがない、ほとんど人類共通の、真の理想。この理想の由来が、人間そのものの本質なのか、歴史によって形成されたものなのかは分からないが。
理想の前に、健常と異常の差はほとんどない。なぜなら、健常者も異常者も、理想には到達できていないからだ。
しかし、健常が理想に近いものを持っていたなら、健常と異常には優位性が存在する。
もしくは、理想と健常を同一視するなら、優位性がある。
なぜなら、我々には否定しようがない理想があるからだ。この理想を見なかったり、馬鹿にしたりすることは、愚かしい行いだ。
理想像に到達できなくてよい。ただ自覚していれば。優位はあれど劣位はない、そんな感じだ。
理想を馬鹿にすること、それはほんとうに人類の進みたい道なのだろうか。幸福にのみ焦点を当てれば、きっとそうなのだろう。しかし、人類の本質はきっとそうじゃない。
ヒュウマニティあること。無意識の領域に親切が存在すること。身の内に善が存在すること。
言っていることは全て同じだが、これこそが人類の理想なのだと、私は信じたい。
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