人間の時間から開放されること

人の思い悩む理由は、自分にある寿命が短いからだ。永遠の命があるならば、重大な決断をいくらでも先延ばしにできて、たとえ今、幸福を叶えられずとも、いつかはできるだろうという余裕が生まれる。
人はおおよそ百年しか生きられない。限られた人しか、たった百年で、自らの理想を達成することはできない。ほんとうの幸福への希望がないのだ。

では、今際の際に生きる人はどうだろう。
私が思うに、自分の寿命を自覚した人は、人の時間の感覚から外れる。百年しか生きられない、と思う時間の感覚から、逸脱できる。
これは、諦めなのだろうか。それとも、死へ希望を抱いているのだろうか。

例えば、こんな話がある。

僕の知人に、それを飲んだら平気でビルから飛び降りちゃうほど頭の中がメチャクチャになっちゃう"エンジェル・ダスト"っていう強烈なドラッグを、金属の小さなカプセルに入れてネックレスにして肌身離さず持ち歩いている人がいる。「イザとなったらこれ飲んで死んじゃえばいいんだから」って言って、定職なんか就かないでブラブラ気楽に暮らしている。この本が金属のカプセルみたいなものになればいい。

『完全自殺マニュアル』鶴見 済

真偽は不明。
今際の際にいる状態、という共通点はあるが、それとは別物かもしれない。
しかし、未来への希望を抱けない、そんな状態より、死への希望を抱くほうが幸福かもしれない。
もしくは、未来への希望を忘れ、今を生きることに、なんとなく没頭していたほうが、幸福かもしれない。
馴染みのある生活。変わらない毎日、日常。平穏な日々。
寿命を忘れ、幸福を達せられないことを忘れ、時間を忘れること。ただ平穏が、幸福となること。加えて、ときどき、平穏の自覚がされて、感動すること。

しかしその平穏は、私たちが会得するには、自覚という絶望が必要だった。

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