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一般的な幸せが発達障害者にとっても幸せとは限らない

どうも、しま子です。

あなたにとって幸せとは、なんでしょう?世間一般的な幸せでいえば、結婚・子ども・仕事、この辺りを手に入れた人が幸せな人という認識です。

だからみんな必死でパートナーを探すし、子どもを授かるためなら不妊治療をする人もいます。また、仕事を一生懸命頑張って出世する人もいるでしょう。

しかし、世間で一般的に幸せといわれていることが、発達障害者にとって必ずしも幸せであるとは限りません。それは、なぜか?

「発達障害者が普通の幸せを求めると苦しくなるから、自分の幸せの基準で生きた方がいいよ。」

これは、ASDと診断された私が主治医から言われた言葉です。(プライバシー保護の観点から多少改変しています。まんま主治医の言葉ではありません。)

主治医の言う普通の幸せとは最初にも述べた通り、結婚・子ども・仕事のことで当時の私は、結婚にも焦っていたし子どもも欲しい、もちろん仕事も頑張りたいと思っていました。

しかし、それらの幸せを追えば追うほど私の心の状態は、幸せとは遠くなっている気がしました。

幸せになりたいと思っているはずなのに、なぜ幸せだと感じないのか?それは私が自分の幸せではなく「世間一般的な多数派の幸せ」を追っていたからです。そしてそれが、自分にとっての幸せだと思い込んでいたからです。

発達障害者の私が、世間一般的な幸せを求めようとすると体感ですが普通の人の倍の労力はかかりそうな気がします。そして幸せにたどり着く前に挫折するか、仮に目標を達成したとしても新たな問題が出てきて永遠に幸せにはなれないのではないか?と、最近では思うようになりました。

もちろん、発達障害を持っていても結婚もして子どももいて幸せな家庭を築いている人はたくさんいるので一概には言えませんが、少なくとも私の場合は結婚や自分の子どもを持つことが幸せになるための手段だとは思えないのです。

また、パートナーや子どもがいることは羨ましいとは思いますが、大切なものが増えるということはそれだけ責任も発生するし、失った時の悲しみも増えるので、私には荷が重すぎるのです。

仕事においても同じで、コミュニケーションが苦手な私にとってできる仕事は限られていますし、出世や仕事の責任が増えることでプレッシャーを感じたくないというのが正直な気持ちになります。

では、どうすれば発達障害者は幸せになれるのか?それは私にもわかりません、というか私も当事者として今も模索している途中です。

発達障害者にぴったりな幸せな生き方を見つけるのは、難易度の高いレアキャラを見つけるくらい難しいことなのかもしれません。

でも、自分が「これは幸せになれそう」と思った生き方は、片っ端から試してみつけていきたいと思います。


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