
私の幼少期ASDエピソード
どうも、しま子です。
ASDは、生まれつきの脳の特性の違いによって起こる発達障害のひとつです。そのため、幼少期から他の子と何か違う行動や特徴が現れます。
例えば、話していて目線が合わない言葉の発達に遅れがあるなどの分かりやすいものから、日常生活は問題なく遅れていても少し変わった部分があるなど症状の程度や表れ方は人それぞれです。
今回は、私の幼少期を振り返ってASDエピソードを語っていこうと思います。なお、今回紹介するエピソードが必ずしもASDを断定する医学的根拠であるとは限らずあくまで個人的見解になってしまうことをご了承ください。
ASDは親の育て方やしつけが原因ではない
まず、ASDをはじめとする発達障害は生まれつきの障害であり、親の育て方やしつけが原因ではありません。よく、子どもの出来は親の不出来とされがちですが、発達障害がしつけや育て方で治るのなら凄いことです。
おぎゃーーー!と生まれた時からの障害なので、これはどうすることもできない宿命であるといってもいいでしょう。
また、詳しくはまだ解明されていませんが親からの遺伝もASDの原因とされています。親からの強力な遺伝なので、育て方やしつけで治すとはますます考えにくいですよね。
私の幼少期ASDエピソード
点滴事件
子どもの頃は、誰しもが嫌いな注射。もれなく私も注射は幼少期の頃から嫌いでしたが、嫌いレベルが常軌を逸していました。
ある日、小児科に行った時に点滴をすることになり私は、なんとか逃れようと子どもながらに抵抗しました。抵抗虚しく、あっさりと点滴の針を刺されたわけですが私の抵抗はここから始まりました。
なんと点滴が終わるまでの1時間もの間泣き続けるという、偉業を成し遂げました。声量も変わることなく泣き続けていたので、さすがの看護師さんも「針を刺すところ間違えたのかしら?」と慌てて何度も見にくる始末…
親からしたら、恥ずかしいやらなんやらで今でも、私に何度も話してきます。
これは、おそらくASDの感覚過敏というもので、人が感じ取れないものまで感じ取ってしまうという特性かなと思います。
水嫌い事件
実をいうと、大人になった今でも私は泳げません。子どもの頃に、親が見かねて泳げるようにとスイミングスクールに通わせたこともありましたが、結局泳げずじまいでここまで生きてきました。
もちろん、学校でも水泳の授業がありましたが、いつも端っこの方でチャプチャプして時間をやり過ごしていました。
私が泳げないのには、わけがあり耳に水が入る感覚がどうしても受け付けないのです。耳に水が入ったあの独特の塞がれてる感が大嫌いで、頭を洗うのも小学年低学年くらいまで一人できなくて親に洗ってもらっていました。
そんなわけで、水嫌いな私は体育でも不遇な子ども時代を過ごしていました。
給食居残り事件
今では、ないかもしれませんが私の子ども時代は給食を残してはいけません!みたいな風潮で、食べるのが遅いもしくは嫌いなものが食べれないでいると居残りをさせられていました。
ASDの食べ物へのこだわりや、味覚の過敏さがあったから食べられないものが多かったのです。
当時の私は、好き嫌いが激しかったせいでいつも居残りさせられていました。みんなが休み時間に入っているのに、教室で嫌いなものとひたすら格闘する日々…。食べたふりをしてトイレに駆け込み、リバースした時もありました。
今でこそ、好き嫌いは多少減ったものの、当時のお残し禁止教育は私にとって地獄以外の何ものでもありませんでした。
習い事サボり事件
幼少期の私は、そろばんとピアノを習っていましたが、それはあまり興味のないものでした。半強制的に親に通わされたこともあり、正直行きたくないと常に思いながら通っていました。
なので、たまに行ったふりをしてサボるという悪行を繰り返していました。普通にサボるだけだと、親に連絡が行ってすぐにバレてしまうので当時の固定電話の受話器を外しておいて電話が繋がらない状態にしてサボるという、なんとも悪知恵の働く子どもになっていました。
やりたくないことは、なんとしてでもやりたくないというASDの遍歴が見てとれます。
しかし、親にバレないはずもなく後でこっぴどく叱られたのはいうまでもありません。
ASDの私の友達事情
ASDの私は、友人を作るにも何かと苦労しました。他の人よりも人との距離を縮めるのが苦手&受け身の性格なせいで、友人は出来るもののそこまで多くの人と仲良くなれないというタイプでした。
グループに属するというよりは、二人で一人のような感じでいつも決まった友人と行動していました。おそらく私は、孤立ASDなので一人友人が出来ればそれで満足で交友関係を広げないような性格でした。
そのため、友人の友人といった微妙な関係性の人と二人きりになると、何を話していいのか分からずに戸惑ってしまうこともありました。
まとめ
今回は、私の幼少期ASDエピソードをいくつか振り返ってみました。当時は、ASDの特性だと気づかずに「ちょっと変わった子」として幼少期をやり過ごしていた私ですが、振り返ってみると「やっぱりASDだよなぁ」と思うエピソードばかりです。
ASDが疑われる場合は、生育歴が何より重要になってくるので、今一度自分の幼少期を振り返ってみるのもありかもしれません。