ほいくえん
昨年秋、次年度の保育園の申し込みを行うにあたり、私は自宅から一番近い保育園に通わせていた息子の転園を希望した。そこから約5か月。無事に希望が通り、2歳児クラスに進級した4月から新しい保育園に通っている。
今、私たち親子の保育園生活はとても楽しい。
この生活を手に入れるまで、幾分遠回りをしたような気もしている。でも、この出来事があったから、我が家の大きな軸が見えてきたと感じ、ここに記すことにした。
私は、子どもを布おむつで育ててみたり、食事はできるだけ身体に優しい素材のものにしてみたり、梅仕事を好んでしてみたり、所謂「自然派」みたいなものが好きだ。なぜか物心ついた時からとにかく自然豊かな環境が好きで、田舎に住むことに長らく憧れてきた。だから結婚を機に、山と水とおいしい空気に囲まれた今の土地に移住できた時は本当に嬉しかったし、子どもが生まれたらなるべく自然に寄り添うような子育てをしたいと思っていた。夫にはそういう趣向は特にないけれど、「いつでも自分が楽しめる選択をすればいいんじゃない?」という実にシンプルなスタンスの人なので、私の趣向に対する特段の反発はなかった。
でも、それを他の誰かに話すことは全くと言っていいほどなく、むしろひた隠しにしてきた。何となく「意識高い系」と思われて線を引かれるのが嫌だとか、こだわりが強い人だ、やりにくそう、と思われるのが嫌だとか、自分の趣向が理解されず、周りの人との心の距離が広がることが不安だった。
保育園を選ぶにあたっても、自然の中でどろどろになりながら駆け回るような、給食やおやつもなるべく身体にいい手作りのものを食べさせてくれるような、何なら布おむつで過ごさせてくれるような、そんな保育園があればいいなと思っていたのだけれど、それを一番の理解者である夫にすら話すことができなかった。保育園は送迎の手間がかからないのが第一、送迎は半分かそれ以上夫担当になる予定なのだから、私の妙な趣向で夫の手間を増やすのは申し訳ない。布おむつだとか手作りお菓子だとか、そういうこだわり要素には蓋をしよう。結局復職後は忙しくなって、そんなことに構っていられないはず。いくつもいくつも理由を重ねて、自宅から一番近い保育園に申し込みをした。
その数日後。なおも残り続けるもやもやを思わず口に出したくなったのだろう。子どもと一緒に行った近くの児童館で、よく気にかけてくれる職員さんに保育園選びの話をした。近いところに申し込んだんですけど、もともと自然系の感じが好きなので、そういうところもあったのかな~でもここ田舎ですし、どこの保育園ものびのび遊ばせてくれますよね~…
自然系が好きなら、あの保育園があるよ!どろんこ遊びがすごく盛んで、めちゃくちゃ身体動かすよ!親御さんの意向でわざわざ通わせている人も多くいるはず!
その保育園は、自宅から最寄りと言うほどではないけれど、通わせることは十分可能だった。思わず言葉を失った。自分の情報収集能力の低さを呪った。いや、これは情報収集能力の問題ではない。自分の心に蓋をして、理由がもっともらしいとか、周りから何も思われないとか、自分軸でないところを採用して決断した結果、すぐに「それじゃなかった」が溢れることが起こった。ただそれだけのことだった。
ものすごく心がざわざわした。調べれば調べるほど、見学に行ってすらいないのに、そこが理想の場所に思えた。時間よ、戻れ。何をそこまでと思われるかもしれないが、私は本気で何度も何度も念じた。一方でそこまで心が揺さぶられてもなお、いや、きっと自宅から近いところに申し込んでよかったと思えるはず。そうであってくれ。と思い続けてもいた。
冬の終わりがぼんやりと見えてきたころ、最寄りの保育園の内定通知が来た。これでよかったんだ。きっと4月から忙しいながら楽しい生活が待っている。子どもも保育園を楽しんでくれる。何とか自分に言い聞かせて、新生活に備えた。
復職と同時に通い始めた保育園は、保護者に手間がかからないように、を最優先するスタンスで、未満児は入園式もないようなところだったので、基本的に気楽だった。先生方も良くしてくださっているように思えた。特段の心配事はない。でも、やっぱりどこか「これでよかった」と思うことができない。少しモヤっとすることがあるとすぐに「この保育園に馴染めるだろうか。」と不安になっていた。
まだ保育園生活は始まったばかり。そのうち馴染める。そう言い聞かせることが増えれば増えるほど、転園したい、の気持ちは大きくなっていった。まずは、気になる別の保育園の見学に行きたい。でも、見学に行くと確実にここに通わせたいと思ってしまって、今の生活がどんどん嫌になるだろう。自分の「こうしたい」に蓋をして、叶えるための行動をしなかった自分自身に失望するだろう。だから見学に申し込む勇気もなかった。
今のままではいけない。何がいいの、何が嫌なのと問われても、明確に答えられる自信はなかった。もしかすると、自分の保育園選びで残る後悔を帳消しにしたいだけかもしれない。それでも、できることはやってみよう。こうして、私は入ったばかりの4月に、行かせたかった保育園の見学を申し込んだ。そして、その時点で、多分半分以上心は決まっていた。
見学の日の夜。
「隣の芝生は青く見えることを差し引いても、めちゃくちゃ素敵な所だった。転園を申し込みたい。」
夫に最初に伝えた。園舎の雰囲気や、保護者も一緒になって皆で園児を育てるという保育の方針、子どもたちと保育士さんたちのイキイキとした表情、園が持つこだわり、すべてがとにかく素敵だった。ここに通わせたい。ここで、引っ込み思案で内弁慶で、おそらくクラスの誰よりも小さくて、当時クラスで唯一まだ歩いていなかった息子の成長を見たいと思った。移民でほとんど友達がいない私にとっては、多少の面倒はあったとしても、保護者同士でつながれることも魅力的に思えた。同じような自然派の保護者さんと知り合いになれるのでは、と期待もした。転園を申し込めば、時間はかかっても、ここに通うことができるかもしれない。それまで仕事を頑張ろう。復職以来、ずっとどんよりとしていた心に、初めて光が差してきた。
1歳児は年度途中の復職も多いから、転園はかなり難しい、という市役所の職員の言葉通り、4月に通い始めてその月に転園希望を出した後、内定の通知は来なかった。その間、もちろん転園の内定を待ってはいたけれど、自分が関わりたいと思った保育園と出会えて、そこに通わせたいと意思表示できたということだけでも、心のモヤモヤは少し晴れていた。少しずつ少しずつ、自分の「やりたい」をかなえる方向に歩んでいた。
転園待ちの状態のまま、次年度の入園の申し込みの時期が来た。通っていた保育園からの連絡事項は、もちろんその園を継続することが前提で書かれていた。転園したい、その意思表示を、ついに保育園にも伝えなければならない。(本来、申し込んだ時点で伝えるべきなのだけれど、私はその勇気も出なかった。)
実は、来年度は別の保育園に申し込もうと思っているんです。ずっと気になっているところがあって、そこに通わせたいという思いを持ち続けているんです。良くしてもらっているのに申し訳ないのですが…。震えながら伝えた私に対しての担任の先生の言葉は「そうなんですね。わかりました。」だけだった。翌日、保育園から持ち帰った荷物には、転園用の申込用紙が入っていた。その日お迎え担当だった夫いわく、先生は子どもの顔を見ながら「残念やけどな~…」と言っていたそうだが、きっと申し訳なさと気まずさを抱える私に気を遣って、あえてドライに振る舞ってくれだのだろう。一方の私は、保育園に対する謀反をしてしまった…これで転園できなかったら…等々、相変わらず不安ばかり追いかけてはいたけれど、段々と気持ちがすっきりしていった。
そして、念願かなって次年度からの転園が決まった。内定通知に対して全くわくわくしなかった1年前とは違った。春からの生活が楽しみだった。それと同時に、この決断は自分のやりたいを叶えるためだ、これからどんな課題があるかわからないけれど、ちゃんと子どもと、保育園と向き合おう。改めて決意できたような心持ちだった。
転園が決まったら決まったで、せっかく1年かけて保育園に慣れたところなのに。子どもが可哀想じゃない?家からなるべく近いところにするのがぜったい楽だよ…等々脳が勝手に作り出した誰でもない誰かが幾度もそんなことを声高におっしゃっていたけれど、大丈夫。きっと私がわくわく楽しめば、子どもも保育園を好きになってくれる。ようやく、その確信が持てるようになった。
そして、年度末。1年間お世話になった保育園に通うのも明日が最後という日、奇しくも息子の転園と同じタイミングで退職される若い担任の先生が、お迎えに来た私に、おずおずとラミネート加工されたカラフルな色画用紙を差し出した。
みんなとあそんでくれてありがとう。いろんなことができるようになった1ねんだったね。あたらしいほいくえんでもげんきでいてね。
クラスのお友達みんなとの集合写真と、担任の先生方からのメッセージ。ああ、この保育園で息子はとっても愛されていた。1年かけて、大きく成長させてくれた。転園なんて、しなくてもよかったのかもしれない。1年通った保育園に対して、心からの感謝の気持ちが沸き上がった。今の環境に感謝を忘れないこと。望む未来に対して恐れずに進むこと。その両方を知るために、このタイミングでの転園になったのかなと思った。
新しい保育園に通い始めた息子は、思ったよりもずっと早く馴染んで、めちゃくちゃ喋るようになって、驚くほどの成長を見せている。ほいくえんたのしかった、ほいくえんいきたい、そんな言葉が自然に聞けて、母はとっても幸せである。
前の保育園と比べて手間がかかることは増えたけれど、毎日の日記を書いたり、保護者会に出席してお友達の親御さんと話したり、私も楽しく保育園と関わりあうことができている。何より、夫から「なんかイキイキしたね。」と言ってもらえたことが嬉しい。
いつか、息子にこの話をする時が来たら、伝えたい。いつだって自分の気持ちに正直に、わくわくする方を選んでね。それができなかったとしても、いつか叶うから諦めないで「やりたい」を追いかけてね。何より、自分の「やりたい」が何なのか、心に蓋をせずに表現してね。それを一番大きな我が家の軸として、これからも子供と共に成長していきたい。その先にはきっと、幸せな未来が待っているはずだから。
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