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自分を生きるということ

会いたい人たちに、会いに行ってきた。

私は今、ひょんなことからとあるオンラインサロンに所属していて、それはそれは日々学びや新たな視点を得られて楽しいのだけれど、この度ついに、そのつながりの方々とリアルに会うことができた。
サロンの主催者の方が他のゲストも招いて行う講演会。
地方に住む私にとっては、スポーツ観戦でも音楽ライブでも、とにかく「リアルな空気を求める場」が物理的に大概ものすごく遠くて、いつも参加するハードルが棒高跳びくらいあるのだけれど、今回の開催場所は比較的近い。我が地域の住民がワクワクしながら高速バスに乗り、大都会の空気を吸って1日を過ごす、その対象のエリアだった。

講演会のテーマは「働き方」。教育現場の方が多く携わっていた。私は教育現場で働いたことはないけれど(大学生の時に学習塾の講師のアルバイトをしていたくらい)、「働き方」に関しては、正直日々悶々と過ごしている。時短勤務なのになあ。もっとささっと仕事を終わらせて、余裕をもって子どものお迎えに行けたらいいのになぁ。かーちゃん今日もお仕事頑張ってきたよ!!って笑顔で言えたらいいのになぁ。
この場に行けば、何かきっかけが見つかるかもしれない。何より、会いたい人たちに会えるのだ。なんだかおいでよ、と呼ばれている気がして、気が付いたら予定表に書き込んでいた。2歳の息子を連れての、片道100キロ以上の日帰り小旅行。少しの不安と大きな期待でわくわくどきどきしながら、前の日眠りに就いた。

朝、息子を何とか起こし、駅まで急いだ。ホームでは6時46分発の特急列車が待っていた。毎朝ベランダから行ってらっしゃーい!とお見送りをしている我が家の通称「おはようきしゃ」今日はこれに乗るんだよ!かーちゃんと大冒険するんだよ!無事に乗り込み、ドアが閉まって発車した。おはようきしゃのれたね!と嬉しそうに座席によじ登る息子を見ながら、私はもはや会場にたどり着いたくらいの心地だった。乗ってしまえば行先にたどり着ける。車窓には水を張ったばかりの田んぼが広がり、朝日が差し込んできらきらしていた。

家から持参したミニトマトとブロッコリー、そして前日私が職場の昼休みに買いに走ったおいしいぶどうパンとベーグルを、二人でニコニコしながら食べた。車両を何度もウロウロと歩き回り、乗務員室を覗き込んだら車掌さんが乗車記念カードをくれた。新幹線のTシャツを着たおじさんが息子と目線を合わせて話しかけてくれた。これからお出かけなのだろうマダムたちが「上手に歩くのね~」と微笑んでくれた。途中の停車駅に着くたびに、息子はしゅっぱーつ!と言って外を見た。
思ったよりあっという間の2時間半。ついに、大都会に降り立った。

子どもが生まれてからこの地を歩くのは初めてだった。長距離列車に乗るなんて無理、かといって車で行くには通行量が多くて怖い、人が多いから子どもを連れて歩けない。自分が勝手に持っていたいくつもの制限は、やってみると意外と小さなものなのかもしれないと思った。息子は人の多さとせわしなさに圧倒されたのか、列車を降りて間もなくすると抱っこ~抱っこ~になってしまったけれど、ここまで来れば会場までもうすぐ。事前に教えてもらった目印を見つけてよしよし、と頷き、私は息子を抱えながら歩を進めた。
ここを渡ればあとは直進、という横断歩道の信号待ちをしていると、ふと二人乗りのベビーカーが目に入った。とっさに「行き先が同じ人なんじゃないか」と感じて視線を送った。ベビーカーをよいしょ、と押す小柄なお母さんに、はっきりと見覚えがあった。オンラインサロンの仲間だった。二人の子どもを連れて、はるばる北海道からやってくると噂の、いつも素朴で幸せそうな表情が素敵な、あの人だ。ああ、勇気を出して列車に乗ってよかったと思った。
お互いの話をしながら、会場まで一緒に歩いた。子どもたちは初めて見るお友達が気になるのか、「ばきゅんばきゅん!!」と言いながら探りあっている。大きな高架をくぐった先に、おなじみ某牛丼チェーン店の看板が見えた。このビルの一室が今日の会場だ。どんな空間が広がっているのだろう。もう、わくわくしかなかった。

会場のドアの前の靴箱には、所狭しと大小さまざまなサイズの靴が並んでいる。そして、ドアを開けると、この講演会の開催を、そしてここに集えたことを心から喜んでいる大人たちと、趣向を凝らしたキッズスペースで早くも遊びに熱中する子どもたちが目に入った。初めて実際にお会いした主催者の方とハグして、本当に来れた、と実感した。体温がふっと上がったような気がした。普段オンラインで顔を合わせている人たちは、皆とってもイキイキしていた。

とにかくエネルギーに満ち溢れた時間だった。仕事とは?望む幸せとは?自分の心の声はどこにある?何が好き?どう生きていきたい?スピーカーの方々が、自身の様々な経験を交えながら紡ぐ言葉たちは、優しいけれど、私の心に深く響いて、「今を真剣に、幸せに生きているか?」と問いかけてくるものばかりだった。好きだな、いいな、と思うことを、少しでもいいから、毎日コツコツと続けてみよう。そのうちいつか、ではない。行動に移せば、何かが動き出す。それを体現している人たちの話は、「仕事が忙しいから」「育児と家事で時間が取れないから」に流れがちな私に、少しの反省と大きな勇気をくれた。「時間があればできるのに」をやめようと思った。よくよく考えると、これまでも何としてもやりたいことには時間を取ってきたのだ。結局すべて自分の選択なのだな、と思った。

お昼休みには、オンラインサロンの仲間の一人、愛に溢れたTHE 大阪の肝っ玉母ちゃんが、大量の手作りパンを差し入れしてくれた。息子もこれには大喜び。かぼちゃパンと食パンを両手に持ち、満足げに頬張っていた。ついでに目の前にあるお弁当も食べたがり、手が足りない、どうしよう、と困っているところが実に息子らしく、それはそれはかわいかった。大人も子どもも、会場の皆が笑顔だった。

午後になり、朝からフル活動の息子がおもちゃだらけの絨毯で幸せそうに眠っている間に、漸く参加者の方とたくさん話すことができた。普段のオンラインサロンのこと、仕事のこと、子どものこと。会えたら聞きたかった!をたくさん叶えることができて、とても心地よい時間だった。本当に、温かい人たちばかりだった。
話しながら改めて会場を見渡すと、絵と写真の小さな個展スペースが設けられているのが目に入った。写真の中の子どもたちやお母さんたちの表情は、皆自然体で、素直で、眩しい。ちょこんと置かれている小さな絵本には、女の子の優しくて逞しい姿が、ほんわりとしたタッチで描かれていた。今日は来ていないオンラインサロンの仲間が紡いだ言葉を絵にした作品もあった。陽だまりのような言葉たちが、絵と共にじんわりと心を温めてくれる。どの作品にも、製作者のメッセージが添えられていた。それぞれの世界が広がっていて、そこで交わされた言葉、人々が抱いていた思い、そんなものがリアルに伝わってくる。何気ない日常は、こんな素敵な一瞬一瞬の積み重ねなのだ。だったら生きているだけで最高じゃないか。愛を形にしたものが、確かにそこにあった。

実際のところ、息子は私の姿が見えなくなると「かーーちゃーーーーん」と呼び続け、部屋を出ていることも多かった。でも、スピーカーの皆さんの熱量、参加者のキラキラとした真剣な眼差し、スタッフの機敏な動き、子どもたちの元気な声、お守りを頼まれたお父さんたちの一生懸命な姿、すべてが結集してこの空間がつくられているのを肌で感じて、とてもありがたく尊いと思った。勇気を出して「行きたい」を叶えてよかった。また皆に会いたいな、と思った。
息子よ、ついてきてくれてありがとう。19時過ぎに無事自宅にたどり着き、先に仕事を終えて帰っていた夫に息子をバトンパスした。おつかれ、私。その日は泥のように眠った。

 講演会の後も、関わった皆さんが当日の写真や振り返りの文章を投稿したり、これまで温めてきた「やりたい!」を叶える発信をしたり、余韻という名のエネルギーに私は驚いている。思いをもって行動すれば変わる、動く。それを見せてもらっている。
 そして、やや時間が経ってしまったけれど、私もこうして何とか文章の形でまとめることができた。書きながら、当日にもう一度戻れたような気がして、とても楽しかった。改めて、言葉を紡いで文章を書く作業が好きだと思った。
「書きたい」を叶えることで、今日も私は満たされる。「生きている」と感じられる。
毎日少しずつ続けようと心に決めた。

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