
愛と恋は同じでないと人は言うけれど
その違いを正しく実感できている人間など、この世に存在するのだろうか。
まず、定義としては以下の通りである。
「愛」
1 かわいがりいつくしむ。思いこがれる。いとおしいと思う気持ち。
2 対象を気に入って楽しむ。「愛好・愛読・愛用」
3 二つとない対象を大切にする。「愛顧・愛護」
4 大事なものを手放したくないと思う。おしむ。
「恋」
1 特定の人に強くひかれること。また、切ないまでに深く思いを寄せること。恋愛。
2 土地・植物・季節などに思いを寄せること。
両方の言葉を比較する。
だが、どちらも「一方的な想い」でしかない。そう思わないだろうか。
少なくとも私にこの違いが分からない。
よく聞く愛と恋の違いとして語られるものとして、「恋は求めるもの、愛は恋が満たされた後に与えるもの」みたいなものだ。
恋は、例え付き合っていて恋人と呼べる人がいたとしても、恋心を向ける人間からの等価交換を求めるようなものだと。
手を繋ぎたい、キスしたい、好きと言って欲しい、触れ合いたい、こちらがそう思うのならあなたにもそう思って欲しい、だって好きなんでしょ?といった具合に。
そういう意味では恋は異性に対して抱くものに捉えることができる。しかし、私とっては「恋は異性にするもの」という観点が存在しないため、あまりピンときてはいない。
対して愛は、愛を求め与える対象を異性に留まらせない。母親であれば子ども、夫であれば妻、教師と生徒の間にも一種の愛が存在するかもしれない。これはコトバンクにある「2つとない対象を大切にする」というものに当てはまるのかもしれない。
親が子供に対して「無事に大きく育ってほしい」、夫婦がお互いを「幸せにしてあげたい」、教師が生徒に対して「学校生活を送ってほしい、受験に成功して欲しい」といった具合に。
無償の愛という日本語は存在するが無償の恋は存在しない、ということはそういうことなのだろう。自分の利益や欲求、要求は度外視に相手を想うことを指すのだろう。まぁ私は、この無償の愛でさえも、実感には程遠いところに存在するのだけれど。
では改めて、愛と恋は同じでないと人は言うけれど、私にとってこれらに違いは存在するのだろうか。
これをお読みのあなたはそんなの知ったこっちゃないぜ、という問いになると思うけれど、これは永遠に考え続けるテーマなのだろうと、このnoteを始めるようになってより感じる。
いつも思う、どれだけ恋愛に無頓着そうな人でも割と彼氏が欲しい、彼女が欲しいというその理由が全くもって理解できないのだ。無頓着そうというのは主観でしかないので、ある意味失礼かもしれないけど。
また、なんとなく結婚して子供を産んで、家庭を持つことが無償の愛の提供を経験しろと言わんばかりに、それが当たり前のように、そうするものであると世の中の人間が思っている。
全くもって、意味が分からない。
意味が分からない私は、きっと何かが欠けているのだろう。欠けていても問題はないのだろうが、一度気になってしまってはその答えを探し求めていたい。
今日はこんなところで締めておくことにしよう。
またこの話をしにここへ戻ってくる予定だ。