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#3 チンチロリン

2017年、真夏の新宿西口カリヨン橋下。僕はしばらく立ったまま、足元に座るハシモトさんとくだらない話をしていた。でも、こうやって見下ろす感じで会話を続けるのはあまり気分が良くない。隣に座っていいかと聞くと、彼は「これ尻に(敷け)」と駅構内で無料配布されているパンフレットを差し出した。

コンクリートの上は思いのほか冷たい。汗だくだったせいかもしれないが、骨を伝わってまたたく間に体温が奪われていく。

「くだらない話」というのは、身の上話のことだ。初めて話をする人からは少なからずライフヒストリーを伺ったりするのだが、正直、話し手も聞き手も「くだらない」と思いながら会話が進んでいた。話し手のハシモトさんも「オレの人生なんて、兄ちゃんに喜んで聞いてもらえるようなもんじゃないよ」といった風だし、聞き手の僕も東京のホームレスのテンプレのような人生譚は聞き飽きている。

そこで僕は話題を変えるために横に座って、ずっと気になっていたハシモトさんの目の前に置いてあるどんぶり茶碗のことを尋ねたのだ。なかに小銭が41円入っている。

「それ、いつも置いてるんすか?」

そう聞いたのは、新宿西口で物乞いをしている人をほとんど見たことがなかったからだった。これまでにも、何人かのホームレスに「なぜ物乞いをしないのか」と理由を尋ねたことがあった。その回答は決まっている。

「そんなんみっともねぇ」「みじめになるからやらねぇ」「かっこわるいからなぁ」「これ以上、人さまに頼りたくねぇよ」

と、自分をこれ以上卑下したくないという思いと、他人に迷惑かけたくないという語りを聞いていた。実はこうした声は、彼らが生活保護を受給しないわけにも重なる。また、いつか書こうと思う。

ともかく、そういう理由をこれまで聞いていたので、ハシモトさんはどうなのか知りたかったのだ。というか、物乞い用の茶碗を置いているから話しかけた、と言ったほうが順序は正しい。

ハシモトさんの答えは意外だった。

「音がいいんだよ」

これまでの会話で、僕がホームレスの人たちと少なからぬ交流があることをハシモトさんには伝えていた。「それ、いつも置いてるんすか?」という僕の問いは、もしかしたら「なんでそんなダセェことしてるんですか?」と受け取られて嫌な思いをさせてしまう可能性もあった。僕としては、あえて、ちょっと踏み込んだ聞き方をしたのだが、思わぬ角度の答えに拍子抜けしてしまった。「いつも」の回答にもなっていない。

「音、ですか? なんすか、それ?」

と、なんだか慌ててしまって歯切れの悪い相槌を打つと、ハシモトさんはこう続けた。

「Suicaをやるとき(かざすとき)もピッと鳴るじゃん。お賽銭を投げても賽銭箱がチャリンチャリンって(音が鳴る)。人間はお金を出すときに音が鳴ったほうがいいんだよ。お金出しました〜って気分になるから」

なるほど。いや、なるほどじゃない。なんだかもっともらしいけれど、目線の感じから本意ではなさそうな雰囲気でもある。でもそこは追求せずに、「なんでどんぶり茶碗なんすか?」と話題を進める。

ハシモトさんは最初はフルーツの空き缶、次はチョコパイの箱で物乞いをしていた。しかしこの夏、池袋のほうに歩いているときに、閉店した中華屋の前に「ご自由にお持ちください」とどんぶり茶碗が重ねて置いてあるのを見つけた。それを一つ拝借したとのことだった。茶碗に小銭を入れてみると、響きがよかった。これだ、と思ったらしい。

「なんか、チンチロリンみたいじゃんね」と、茶碗のなかの10円玉4枚と1円玉をつかんで、チャリンと鳴らす。

そっちか。身の上話をしているときも、3割くらいはギャンブルの話題だった。僕はギャンブルを一切やらないので、そのネタのときはボケーっとして聞き流していた。物乞いんときもギャンブルかい! と心のなかでツッコミつつも、たしかにめちゃめちゃいい音が響くなと思う。

そこで、茶碗に何円入っているときに追加で小銭を入れると「よりいい音が鳴るか」を試してみよう、という話になった。僕の財布には472円あり、ハシモトさんは700円持っていた。まずは41円を茶碗に入れたまま100円玉を落としてみる。次に追加で10円、50円、今度は10円玉を0枚にして、と茶碗のなかの小銭パターンをさまざま試していく。

「1円が入っていると、音にブレーキがかかる気がする」「10円が多いと安い音になる」など30半ばのおっさんと60過ぎのホームレスのじーさんとで、小一時間もチャリンチャリンとあーでもない、こーでもないとわちゃわちゃ遊んでいた。

新宿西口の人通りは相変わらずだ。いつもどおり「恵まれない世界の子供たち」の募金活動など、精力的なボランティア支援も行われている。すぐ向かいには盲導犬がおとなしく座っている。「募金お願いしまーす」という大学生くらいの甲高い声に、有閑マダムが一言二言やさしく声をかけ、財布を取り出す。

こっちはチャリチャリ遊んでいるのだから仕方ないが、誰も来てくれない。そんなことをぼーっと考えていると、僕が向かいの募金活動に目線をやったのに気づいたハシモトさんは、ボソリと言った。

「みっともないし、やんなかったよ。これまでは。でも、たまにくれる人がいるのよ。でも、触りたくなんかないだろうしさ」

と、チャリンと茶碗を鳴らした。なんとなくだが、こちらのほうが本音に近いような気がした。盲導犬はこちらをちらっと見て、おとなしく伏せている。

それにしても、キャッシュレス化が進んだら街頭募金ってどうなるんだろう。少なくともチンチロリンの音は聞こえなくなるな。


※ハシモトさんは仮名です。



物乞い行為は軽犯罪法に抵触します。そんなことはわかっています。ま、そこはちょこっと寛容に。これは僕の体験したしょぼしょぼエピソードですが、『トーキョーサバイバー』には「物乞い行為」や「人と人との繋がり」といった視点で、類似するエピソードから学生たちが真剣に考えた論考も収められています。現在、本書を出版するためクラウドファンディングを行なっておりますので、ご協力いただけましたら幸いです(3月17日まで)。



追記:クラウドファンディングは皆様の温かいご支援のもと、SUCCESSし終了いたしました。ご協力・ご支援いただきました皆様、誠にありがとうございました。うつつ堂代表 杉田研人拝(2022/3/17)

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