「将棋2」 「みんなの俳句」 <38>
マヂカルラブリーさんが好きで、
「将棋ってずっと続編が出ていない。」
「将棋2ってないじゃないですか。」
そして「将棋2」を作ったという、
この発想も素敵だと思っていて、
じゃあ、
私たちがやっているのは、
類想類句に捉われない、
「みんなの俳句」です!
俳句ではないです!
って自分たちで言っちゃうって言うのはどうでしょうか。
俳句好きな方で、
私たちの句を見て、
季語のあっせん(選び方)が~、
語順がこうで~、
添削したがる人もいると思うんです。
そうじゃなくて、
受け入れ合って、認め合うための「みんなの俳句」が出来れば。
上も下もない世界が「みんなの俳句」から生まれるかもしれないです。
すきと思った句を好きと言えるのが「みんなの俳句」です!!
「俳句」をやっている人も、
「みんなの俳句」との相互交流があったり。
私はずっと、時代がどう動いていくのかを考えています。
SNSで、自由にコメントをしあえる時代に対して、
まだまた、上から下という選の仕方が残っています。
SNS時代の「みんなの俳句」が必要な時代になったのかもしれないです。
初心者で、
見た俳句に
「すき」って自由に言えない文化は、
作った句に
上級者からそうじゃないって言われる文化は、
みんなのためのものじゃないのではないか。
雑誌やラジオやテレビで、一方向からの選の時代じゃない、
双方向からの「みんなの俳句」を私たちはやっています。
そう言って活動するのもありかもしれないですね。
※過去の私のコメントが、
このエッセイの趣旨にそぐわない俳句の添削アドバイスをしていたりするかもしれないです。
でも、
俳句をはじめてからずっと、
美しく生きること、人と人、心と心の交流が一番で、
俳句は二番的な生き方をしています。
そして、正直に言うと、
私の選も偏っています。
感性の違いこそ人生の醍醐味かもしれません。
だから、初心者の俳句をあまり知らない人にも、
「みんなの俳句」に来てもらって、
褒め合う文化で、
私設賞で、#100文字俳句鑑賞 で溢れる世界にしてもらって、
人と人が認めあう、
美しい文化で生きて行けたらなぁと夢想しています。
noteの世界では、本当に盛り上がっていました。
それを日本中、世界中に発信したい、そんな挑戦です。
アイディア出しはたくさんしていきます!
何がネットプリント、本に採用されるでしょうか?
あまり考えずに出していますので、
本心や思いから少しずれたようなエッセイが生まれてしまうかもしれませんが!
(言葉が付いてこないパターン)
(精査せず発信してしまうパターン)
いいな、というコメントが付いたら採用しようかな?
ぐらいのラフに出しています!
いつも読んでくださりありがとうございます!
おやすみなさい!
愛を込めて!