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幼少期の話⑧ 球技がとことんダメでして

球技がとにかくできません。道具を使った動きのコツを掴む工程が誰よりも遅いからなんだろうなとは思うのですが、直そうとしてどうにかなるものではないのが辛いところ。
そのせいで損ばかりしてきました。

思い返すと幼稚園の頃からずっとそうでした。
当時体操教室に通っていた私。マット運動など自分の体ひとつで完結する競技は人並みにできる方だったのですが、ボールが介入した途端何もできなくなってしまうのが困ったものでした。鞠つきすらできなかったレベルです。そのことは前回の幼少期の話でもチラッと話しました。

小学生になると休み時間にドッジボールをするようになりました。ここでも球技のできない私は、ボールに触れなくてもやり過ごせるのをいいことにひたすら避け続けていました。当てられて外野に行った人が「命替え」を強要してきたこともあります。
命替えというのはボールに当たるとライフを失うと仮定して、内野にいる人と外野にいる人が入れ替わる、文字通りライフを入れ替える行為です。あまりに響きが物騒なので今は使われてないかもしれませんね。

体育の時間にソフトボールをした時も辛酸を舐める思いをしましたね。外野を守っていた私のところへ事もあろうに打球が飛んできたとき、ボールを捕るという行為をハンドボール大の球でしか経験してこなかった私は、手を上に伸ばすのではなく咄嗟に下に構えて捕ろうとしてしまい案の定落球してしまいます。湧く敵チームをよそに項垂れる私。攻守交代の時には「あれほど言ったのになんでできないんだ」とチームのリーダーに詰められ、半ベソになったのをよく覚えています。
いや、全ベソだったかもしれない。

普通ならここらへんで球技が向いていないと気づくべきなのでしょうが、自己分析のできていなかった私は中学の部活も何食わぬ顔で球技を選ぶことになります。1個上の姉の影響もあって卓球を始めることになりました。

卓球はボールの回転が肝ですから、どちらかというとフィジカルよりテクニックに重きが置かれるスポーツだと思います。しかしながら私はテクニックがてんでダメ。そこで気持ちで負けないようにと、試合ではプレーの終わる毎に大声を出して己を奮い立たせていました。部内戦でも平気でやっていたので、さぞかしうるさい奴だと思われていたことでしょう。

この流れは高校の部活に入っても続きます。経験者が少なそうだからという安易な理由で決めたバドミントン部に入って最初の部内戦で、私は他のメンバーが淡々とプレーするのをよそに雄叫びを上げまくっていました。結局それなりの順位につけることはできたのですが、自分だけ大声をあげて勝ってもフェアじゃないよなとようやく気づき、その後は静かになりました。おかげで最後の部内戦では後輩にも負け続けて最下位になってしまったわけですが。

ただ中学の時の卓球と異なり、バドミントンはまだフィジカルでも太刀打ちできるスポーツです。そのせいもあってか高校卒業後はバドミントンをろくにやってもいなかったのにOB・OG戦に出た時の方がなんなら現役より上手くなっていたらしいです (笑)。嬉しいような悲しいような不思議な感覚ですが、結果的に上手くなっているのでOKです。

今はYouTubeなどレクチャーを受けられる媒体も確実に増えていると思うので、その気になったら本気で調べて上手くなってやろうと思ってます。11月にソフトボール大会があるのでやるだけやってみます。待ってろ優勝トロフィー。

それではこのへんで。

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