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徹夜、おじいちゃんを知る日

昨日の記事を受けて、早速アンサー記事を書くことにしました。というのもストックを作ったことにあぐらをかいて数日何も書かなかったせいで今日になっても執筆のやる気が起きず、何も書かないまま20時になってしまったからです。これまでの習慣を途切らせないため、そしてたくさんの読者を獲得するためにも、21時投稿を継続したいという個人的な思いから音ゲーをやめて書き始めています。本当はM-1の3回戦もみたいし、スプラもやりたいし、インターンに向けた適性検査も受けないといけないし、ドキュメンタルもみたいのに、です。

こんな些細なことですが、やりたいことよりもやらないといけないことを優先できるようになっていてちょっと自己肯定感が上がっていたりします。この土日に頑張ったおかげで頑張り癖が多少はついたのかなと思うと、少しは報われた感覚がありますね。それでは2つ、時系列で紹介していきます。


1. 研究室での論文紹介 (11/11 9:00〜) の準備 (論文選択〜スライド)

うちの研究室の論文紹介は2〜3週間ほど前から取り組み始めるのが一般的だそうなのですが、全くやる気の出なかった僕は11/4 (月・祝) になっても紹介する論文を決めてすらいませんでした。翌日「流石に怒られるよな…」と不安になった僕は、その場のノリでnature誌のバックナンバーをあさり、興味がありそうな論文を決め打ちして本論を読み切り、いけそうと思ったので勢いでメンバーに公開しました。時間にして11/5の16時前。17時までがコアタイムですから、それに間に合ってよかったとひとまず胸を撫で下ろしました。
一方でこれはのちに判明したことですが、自分の紹介する論文を発表の1週間前までに公開しないといけないというルールがどうやら決まっていたようです。まずい。

水曜日は研究室に学生実験を終えた3回生がやってくるとの話だったので、集中できなそうと踏んだ僕はとりあえず休むことにしました。1日で論文を読み切ったので早速油断したわけです。ところがその日の夜、助教から不穏なメールが送られてきます。

セミナーのことでちょっと確認したいことがあるので、大学着いたら私のところに来たもらえますか?

先生のメールより抜粋

明らかにまずい空気を感じ取り書類を確認し、ここで初めて「1週間前ルール」を見つけてしまった自分。絶望感に浸りながら日が昇る直前くらいまでパソコンと睨めっこして、とりあえず全体の構成を決め、日本語でスライドを半分くらい作りました (本番スライドは全て英語、発表は日本語で話す)。

翌日。
怒られ顔をして助教のデスクに向かうと、「諸事情により普段はzoomでやってる論文紹介を例外的に対面でやるけど、いいですか?」という予想外の方向からの一言。正直安堵よりも困惑が勝ちました。
その日中になんとか日本語でざっくりとスライドを完成させました。

その日、すでに木曜日。もう一つの予定色彩検定2級が間近に迫っていました。マルチタスクがとことんできない僕は、事の重大さを察知して一旦スライド作成を止め、そちらに取り組み始めます。


2. 色彩検定2級 (11/10 12:00〜) の勉強

色彩検定2級に向けた勉強時間は、一説によると2ヶ月間、またある説によると25時間程度、とネットには書かれています。普通ならまあ最低でも2週間くらいは時間をとって勉強しないといけないはずです。

ところが僕にそんなことができるはずありません (自分で言ってて悲しいけど)。今年上半期の受験を逃し、下半期の募集開始と同時に予約を入れたせいで受験番号が0001になったにもかかわらず、全く勉強をしないまま木曜日 (11/7) になっていました。

これはまずい。かなりギリギリになってそう確信した僕は、せっかくの受験料10,000円を棒に振らないためにも死ぬ気で勉強しようと決めました。全8章の教科書だったので、毎回2章ずつやって4セットで終わらせようとざっくり計画を立て、木曜夜に1〜2章、金曜夜に3〜4章、そこから自転車で実家に帰ったあと (下宿の話が決まる前に受験予約をしていたので会場は実家の近くだった)、金曜深夜 (土曜日早朝) に5〜6章を終わらせました。

土曜日にはかなり体調が悪い中で7章を終わらせ、8章を進め始めたところであまりにもしんどくなったので一度軽く寝て体調を整えます。ここらへんの、自分のSOSサインを読み取る力については、人並み以上に長けている自信があります。夕食後に8章をやりきり、深夜に模擬試験を受けて9割近く取れたので (ここで全然できなかったらマジで発狂してたと思う)、なんとか落ち着いて寝ました。翌日はかなりの寝汗をかいていて、自分がいかに体調が悪かったのかを思い知らされました。

9時に起床し遅めの朝ごはんを食べた自分。12時からの受験ですから、昼ごはんを食べる前に会場に向かわないといけません。実家から下宿へと向かう通り道に会場があったので、論文紹介のことも考えて自転車で会場入りすることに決めました。

いざ受験。

ちゃんとあの服着て行きましたよ

結果は…12月ごろ発表。自己採点はしてませんが、まあ多分なんとかなったかな、と。ひとまず1つ目完了。


3. 研究室での論文紹介 (11/11 9:00〜) の準備

とはいえまだ油断はできません。論文紹介が残っています。しかも前述の通り、僕はマルチタスクができないので、日本語版のスライドをざっくり完成させてから一切の進捗はなく、とても人様に見せられるものではありません。M-1の3回戦ネタとかをみている間に気づくと夜になっており、焦りつつ論文を読み込み、スライドの内容を英語に直していきます。

本当は深夜4時くらいには終わって仮眠をとりたかったのですが、予想以上に作業は難航し、朝6時になってようやくモノクロのスライドが出来上がりました。ここから少し色やデザインを加えて華を加えつつ、カンペを用意していると7時半。寝てしまったら遅刻する未来が非常に容易に想像できたので、思い切って準備にあて続け、都合完徹をして論文紹介に臨むことになりました。

8時過ぎ。そろそろ家を出ようかという頃のことです。
完徹というのを久しくしていなかったので、思った以上に体が動きません。厳密には動くのだけれど、ずっと鉛のように重い。そしてところどころ痛い。
ため息をつきながらふと思いました。

これがおじいちゃんのデフォルトなんだろうか…
本当のところは知りませんがおじいちゃんって痛みと闘って重い腰を上げて生きているイメージがあります。思わぬ形で越体験 (追体験の逆?) ができました。

ちなみに発表は概ねうまくいきましたが、付け焼き刃が教授にバレてエンタルピーとエントロピーの説明ができなくて詰みました。あとちょっとだったのに。


はい。なんとか生き延びました。
ちなみに論文紹介後はしばらくアドレナリンが出まくってたせいか普通に起きて作業とかしてましたが、19時くらいに死ぬほど眠くなって、布団に入って寝たらいつの間にか5時になってました。夢めっちゃみました。

しんどい1週間でしたが、得たものは大きかったように思います。初めに書きましたが、何よりもめんどいことを先にやるという癖が多少なりともついたこと。誇張して言うなら新生うつろ誕生ということです。一皮剥けた自分で頑張っていきますので今後もご期待ください。では。

(21時、間に合わなかった…)

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