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7月の振り返り日記

体調と調子

 体調が崩れやすいのに、やらなければいけないことが多くて疲れやすい月でした。

 1週目。前の週の疲れから体調を崩しています。

 私事でちょっとしたイレギュラーが発生したたため、対応に追われて、体調管理や生活が崩れてしまいました。

 外出できないほどではないけど、動くのが億劫になるほど倦怠感が強いです。

 食欲はなくなり、睡眠も乱れました。

 でも、イレギュラー対応はまだ終わりません。

 2週目。引き続き寝込んでいます。

 おかげでネット小説の巡回が捗りました。

 3週目。後半になってやっと回復です。

 かと思えば、イレギュラー対応もラストスパートに入り、また体調を崩しました。

 ついでに、また新しいイレギュラーが発生。

 一難去ってまた一難です。

 悪いことではないんですけどね、なんで体調の悪いときに用事が入って忙しくなるんでしょうね。

 4週目。安心したのも束の間、また忙しさに寝込みます。

 イレギュラーを最優先に、できることをできる分だけ頑張っていました。

 用事を済ますという視点から見ると、私はスムーズに動いているように周囲から見えるようです。

 実際のところは、つきまとう倦怠感に体が動かず、ほとんど寝込んでいます。

 睡眠は乱れ、うまく食事もとれず、ちょっと体重が落ちました。

 外出はもう、ほとんど義務感で頑張っています。

 外に出ないと用事を進められないので。

 5週目。引き続き忙しさに寝込んでいます。

 体調管理ができなくて、休んでも休んでも改善の兆しが見えません。

 日数の感覚も掴みにくくなって、危うくnoteの公開を忘れるところでした。焦ります。

 7月は、忙しさで倦怠感が抜けない日々でした。

 用事がアレもコレもと重なると忙しくなりますよね。

 でも、体調に合わせて後回しにしたり、ゆっくりすると、やらなければいけないことがこなせなくなります。

 体験談です。

 不調は倦怠感、食欲不振、睡眠障害が主でした。

 ただし、今回の不調に過睡眠はないようです。

 全くないというわけではありませんが、不眠や夜間頻尿、睡眠不足などバラエティに富んだラインナップのひとつという感じでした。

 睡眠障害の症状が変わってきているんでしょうか。

その他

 最近、とあるネット小説を見ていたときのモヤモヤがひとつ解消されました。

 物語の構成上、そのエルフは賢者となるはずなのに、せいぜい頭のいい仕事できる人止まりなことに違和感を感じていたみたいです。

 ネット小説そのものは面白いんですよ。とても面白いです。重要なことなので2回書きました。

 もちろん、必ず「エルフ=賢者」という意味でもありません。

 エルフに限った話ではありませんが、設定によっては様々な立ち位置や役割があるので、下手に固定すると想像を狭めてしまいます。

 ステレオタイプがイメージを掴むのに役立つ一方で、表現の上では悪手だとも思うんですよね。

 私がモヤモヤしたネット小説でも、様々なエルフが出てきました。

 全エルフが総じて賢者の立ち位置にいるわけではありません。

 そこが魅力の作品でもあります。

 でも、賢者の立ち位置にいるキャラクターが、賢者らしくない浅はかな言動をしていると、よろしくない意味で不快感を抱えちゃうんですよ。

 なんでそんなこと言うの? なんでそんな行動するの? って反発に近い不快感です。

 感動を与えるだけが物語ではありません。

 時には、あえて不快感を持たされることもあります。

 それも含めて小説の面白さになるんです。

 でも、これは違うと思うんですよね。

 主人公の行動に対して、外の視点から気づきを与えたり、教え導いたりすることが賢者のはず。

 なのに、なんで10歳以下の主人公と同列にいるんでしょうか。

 主人公が年齢の割に、大人たちと対等に話せるのはわかります。

 転生者だったり、教育中とはいえ、もともとの素養も高いという設定なので、未熟でも大人顔負けの理論を展開することはおかしくありません。

 ぶっちゃけ私より頭よくて、読みながらいつも感心しています。

 ついでに周囲の大人たちがそれを補いつつ、やっぱり理論に穴があるのもリアリティがあります。

 だからこそ、主人公の偏った自論や大人たちの抜け漏れ、それらを補うための賢者でしょう。

 最初はそのように描かれていたんですよ。

 しかし、たぶん。

 これが作者のイメージする「賢者」なのかもしれません。

 あるいは、作者の教養の限界がココなのかもしれません。

 プロットがしっかりしていたら作者本来の教養は見えないし、キャラの立ち位置や役割がブレたりすることもありません。

 むしろ、賢者だって完璧ではないのに、頭がいいならこれも分かるはず、とやり過ぎることのほうが多いように見えます。

 ネット小説の場合、プロットを軽視して勢いで書き始める人もいるんですが、それだけ作家さんの教養が全面に出るんですよね。

 個人的に、「ナーロッパ」という言葉がその体現だと思うんです。

 勢いはともかく、根拠も何もなくイメージで作られた非ヨーロッパは、書き手の知識だけでしか作れません。

 私は書くより読むのが好きなので他人事ですが、部分的にでも相手の知識が自分より下だった場合は足りなさが見えちゃいます。

 それが表現の幅へも影響しているんですよね。

 わからないこと、理解できないことは、表現できないので当たり前なんですけど。

 ときには、意図しない矛盾を作ることもあります。

 技術力のある作家さんだと読書の邪魔をするような矛盾はないか、あっても最小限だったり、意図的で物語に没入しやすいんです。

 だからといって書かれた物語が面白いとも限らず、これこそがネット小説の醍醐味なわけで。

 私は表現力より、面白いが優先です。

 今回、モヤモヤしたネット小説が勢いだけで描き始めたようには見えないので、プロットの作りが甘いのかもしれません。

 プロットは、世界観やキャラクターの設定に物語の流れと通り一編のメモではなく、小説を滞りなく書くための資料だとかなんとか。

 プロットに何が必要かを教えてくれる反面教師みたいです。

 いや、私が小説を書くことは滅多にないし、この作者さんもおそらく学びながら物書きしているはずです。

 このネット小説を見るたびにモヤモヤして、でも理由がわからなくて、さらにモヤモヤしていたのでスッキリしました。

 何回も最初から読み返して、続きが気になるほど面白いのに、なぜ重箱の隅つつくような反論ばかり考えるんだと思っていたんですよね。

 これからは、もっと素直に楽しんで読めそうです。

読書

 読了1冊、読書中2冊です。

 7月も体調が悪かったので、主にネット小説を読んでいました。

 むしろ、6月より悪化していたかもしれません。

マネジメント【エッシェンシャル版】
─── 基本と原理
P.F.ドラッカー
上田惇生 訳

 2か月は長ったです。それだけ難しかったです。

 やっと読み終わりました。

 その分面白い内容でもありますが、体力というか気力というか、読後は思考力を削り取られた気分です。

 私が今年設定した目標は時間管理することですが、実際にやってみると体調とか他の要素も出てきたんですよね。

 そこで、そもそも管理とは何ぞや? となって、この本を読み始めました。

 管理とは社会の中でよりよく生きていくこと、という意味だけでは、わかるようでわからないじゃないですか。

 本書は仕事という視点からマネジメントを説いていました。

 企業だの事業だの公務員だのボランティアだのを取っ払うと、成果というのは自己実現のようです。

 キーワードは組織と強み、「われわれの事業は何か、何なのか」。

 自己実現のために使命を持ち、失敗と成功の中から成果を求め、最終的に社会貢献へ繋げる。

 要約すると、こんな感じです。

 誰の役に立てるのかを理解し(顧客)、自己実現を達成するための仕組みを作り(マーケティング)、さらに自己改革によって新たな貢献を作り出す(イノベーション)サイクルを築くこと。

 これが著者の「マネジメントする」だと、私は理解しました。

 ただし、この本の「マネジメント」は管理ではなく、組織するという意味みたいです。

 作者は個人主義が強い欧米の出身ですが、本の内容は意外とそうでもありませんでした。

 管理を求めていた私としては解釈違いのような感じがするので、もしかしたら本の選択を間違えてしまったかもしれません。

 一方で、組織とは共生していくことのようにも見えるので、実際にやってみないとわからない部分もあります。

 このまま突き進んでいいのか悩みどころですね。

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