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幼少期の話⑩ 京大を目指して

今回で幼少期の話はラストになります。話題が尽きてきたのと、素性を明かしてしまった以上過去に拘る必要もないと思ったので。せっかくなので明かした素性と絡めた話題を綴ります。


ザ・真面目な生徒

私は昔から勉強はできる方でした。
小学生〜中学生の頃はテストで100点を取れなかったら号泣するほどの完璧主義だったのはすでにお話ししているかと思います。

性格も今と違っていたって真面目でした。小学6年生では代表委員会の委員長 (生徒会長みたいなものです) を務め、運動会の行進で学校の旗を持って先頭を歩いたりしました。仕事はたいしてしてなかった気がしますが。

中学校では生徒会長にはならなかったのですが、生活委員会 (風紀委員会のゆるい版) を1年前期に担当したことをきっかけに、1年後期〜2年前期まで生活委員会副委員長、2年後期〜3年前期まで生活委員長を連続で担当しました。手書きで文章を書いて委員に配ったり、ポスターの作成を依頼したりと精力的に活動していた記憶。3年間の中学校生活の6分の5を生活委員会に捧げるって、今思うと馬鹿げてますね。

高校への進学

そんな私がいい大学に行こうと思ったのは中学に入ってから。クイズ番組で難しい問題にどんどん正解していくロザン宇治原さんを見て「この人みたいになりたい!」と感じたという些細なきっかけから、宇治原さんの出身大学である京都大学に漠然と憧れを抱くようになりました。

と言ってもまだ中学生ですから最大の関心事は行く高校のこと。京大に合格するにはやはりいい高校に行くべきだと思った私は県内一位の偏差値を誇る進学校を迷わず志望。2年生の頃には夏休み明けの実力テストで498/500を取り天才の名を恣にしていた私でしたから、落ちることはないだろうとわりと自信満々でした。

私の県では高校の入試が2段階に分けられています。2月に行う特色選抜 (言ってしまえば早期選考みたいなものです) を受けた私は、あっさり受かってしまいました (倍率もかなり高かったので運も大きいと思いますが)。ですから私、高校受験のあのハラハラする感じはついぞ体験することはなかったわけです。3月の頭に合格が決まってからは勉強をするモチベーションなんてもちろんないわけで、家に籠ってピアノタイルとクラッシュ・オブ・クランに捧げる毎日でした。おかげで多分ちょっと頭と目が悪くなりました。

高校での勉強

高校に入って初めてのテストは念入りに勉強をして臨みました。やはり県下一ですから難しいだろうと、可能な限りの努力を注ぎ込んだと思います。全てのテストが返却され、学年内の順位を聞くとなんと2位/約400人。自分って意外と勉強できるのかも、とこの時改めて気付かされました。

1年生のクラスはかなりの秀才揃いで、学年順位1桁に5人の名前が入るほどでした (一人は医学部医学科、その他の4人は全員現役で全員旧帝大に行ってます)。そのうち私を含めた上位3人はお互い仲も良く、毎回のテストで一進一退の攻防を繰り広げて切磋琢磨することができました。

学年が上がってからも定期テストだけはしっかりやろうと意気込んでいい点をとっていた私。しかしいかんせん毎回短期記憶で臨むので、長期記憶を必要とする模試の成績は毎回思うようにいかず、また受験は最大の鬼門でした。勉強の習慣をつけるべく自分の意思で塾に通い始め、自習室で勉強したり居眠りしたりしながら苦しい受験期を乗り越えました。

センターの点数は直前まで全く思うようにいきませんでしたが、当日に謎のポテンシャルを発揮して過去最高得点を叩き出しまくりました。おかげで少し安心感が露呈し、二次試験の数学で大失敗。結果は合格者平均点少し下、でも合格最低点よりはわりと上というなんともビミョーな位置。第一志望の学科には通らず、第二志望に甘んじました。


とまあ自慢話みたいになっても本意ではないのでこれくらいにしておきます。事実は事実としても、あまり自分を驕るようなことは言いたくないので。あと他人を貶めるようなことも言いたくないですね。文面が偉そうでしたらなんかすみません。気をつけます。

それではこのへんで。

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