もっと輝け、水と美術の日本


日本美術は世界のアートマーケットの1%に満たないらしい。

ところが、そこで使われる素材・技法の一部は非常に高いポテンシャルを持っているという。
墨の色合いは日本の風土に寄り添って発展し、筆に至っては熊野筆のように化粧用品にさえ進化する品質。
墨、筆、絵の具をはじめとして、世界のアーティスト達を唸らせるだけの画材が結構あるそうなんですね。

なんでも、最近世界各国の美術館では、この先100年巻の作品を担保することが出来る素材・技法でつくられた作品以外は、コレクションに加えられないと言われ始めているとかで。
それに呼応するように、絵の具の退色や剥落の少なく、劣化のあまりない日本の画材が注目されているんだそうです。

なのに、日本のアートが売れてないっていうんだから、皮肉なもの。

さてこれ、とても同じような状況が水ビジネスにも見て取れる気がしたんです。水処理の要である、膜技術を中心に、世界の最先端を行く技術をもってるのに、水ビジネスとして世界のマーケットはほとんどとれてない。
ヴェオリアにテムズという水メジャーのように、世界各国の上水道をビジネスとしてやりきれている話はとんと聞かない。

こうした要因として、よく言われるのは日本人は大局観がないとか、戦略が苦手とか、そんなことはよく言われるけど、そんなことを否定したいんじゃない。

アートの世界で素材技術を磨くように、水ビジネスの要素技術を磨くように、目の前のものを磨き上げるという方向の努力は一つとても大切。
それに加える両輪として、全体と未来をみつめて視点を変えて、新たな方向に入れるべき力を見いだすのも大切だ、って感じるんです。


話は変わって、秀吉の天下統一後の家康公のこと。関東への国替えを命じられた家康が拠点を検討するのに、既に栄えていた小田原にするか、都市として劣悪な地の江戸か、の選択を迫られたそうです。
そのとき、伊奈忠次という土木や治水に長けた代官頭(今で言う技術官僚)の進言から江戸にすることを決めたといいます。


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 忠次は、小田原は関東の西端にあり、関東全体の支配には適さな
 いことを指摘した上で、江戸は確かに城のそばまで海が迫ってい
 るが、これを干拓すれば広い城下町を形成できること。さらに海
 が近い利点を活かして港を築き、航路を開拓して全国各地を海運
 で結べば、経済的にも発展することを進言した。

   『江戸の礎を築いた伊奈忠次に学ぶ』 和泉清司
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この選択当時にもし、江戸を田舎の漁村だと馬鹿にして、目の前にある現実ばかりを見て否定していたら、今の東京はなかったわけです。

当時の技術をもってすれば、何が可能か。どうすることが人々のくらしにとってよい開発となるか。

江戸が栄えたのはこれだけが要因ではないでしょうし、未来を見る前に目の前の現実をコツコツと磨き上げることはとても大切。それでも、こうして未来を見据えてなされた意思決定が大きく影響をしたことでしょう。

そしてまた、忠次の思考には、従来とは異なる視点を持つことがとても大きな可能性をもつことがわかります。


さて、日本の美術素材は、日本の風土をうけて独自に発展した墨の技術などがあることをうけて、某美術誌にてこのように言われていました。

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 どこに出しても引けを取らない高品質な日本性の画材をうまく利
 用して、オリジナリティのある作品を作ることが、これからの日
 本に求められることなのだ。
   『世界を唸らせる日本の技法・素材』 百兵衛 No.53
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日本の美術界も水ビジネスの世界も、今の目の前だけ見るんでなく、忠次のように未来をみつめ、今目の前を旨く整えるだけの思考を越えていきたい業界ではないか。そして、部分を磨くことも、活用する統合も、両方の目線が螺旋のように絡み合ってこそ、全体って上がっていくような気がするんです。

もっと輝け、水ビジネスと日本の美術。

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