見る、でなく、観察する
「見る」のと「観察する」のとではまるで違う。
もっともっと、観察しなきゃ、世界の本質は見抜けない。
たとえば、こんな肖像画を見たとき。
この絵を1分見つめたとして。
その後、こんな質問をされたらどうだろう。
影はどちらに出来てた?
その女性の服の布の柄は言葉に出来る?
左手につけた指輪の数はわかるだろうか。
彼女の二重顎に気づいただろうか。
おおよその人が答えられないらしい。
私だって人のことを言えない。こんな単純な問いに、ドキッとさせられて、ほとんどの質問の回答につまった。
そう、ほとんどの人は見てるだけで、観察しないんだ。
ほんのわずかな、他人が気にもとめないような小さな事実から、見えてくるものがある。
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相手の顔を見れば出身地がわかる。手を見れば何をして生計を立
てているかがわかるし、ほかにも歩き方や礼儀作法、懐中時計の
鎖についた飾りや、服についた毛玉から、様々なことがわかる。
『The Sign of the Four』
Conan Doyle
https://sherlock-holm.es/stories/pdf/a4/1-sided/sign.pdf
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シャーロックホームズのような名探偵しかり、ニュートンしかり、ダビンチしかり。新しいモノを作り出したり、誰もが解けない問題を解決する人は、目を開き、頭を使い、感性を研ぎ澄ませている。観察することで、本質に届いてゆく。
そこから始まるはずだ。
観察することなしに、対象がどんなもので、どんな特徴があるものかが見いだせない。すれでは、「知」となるものは見いだせない。
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知とは畢竟、何と何が等価かを追求しやまぬ解釈システムの謂い
である。それは抽象的なものが具体化され、遠い事象同士、分か
たれた事象間に近親の絆あることが明らかになったとき、生じる
のである。
『ビジュアル・アナロジー』バーバラ・M・スタフォード
https://ux.nu/s3jpn
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何か価値あるものを生みだそうと思うと、何かと何かの共通項を見いだし、対角線を導きたい。その時には、その「何か」それぞれがどんなものか、しっかり観察することなしに、「知」は生み出せないってことだ。