【22日目】うーん。
ー執筆者 BBー
お待たせしました。いや、お待たせしすぎたのかもしれません。どうも、BBです。note執筆を怠っていました。理由は二つ。まずは単純に少し忙しかったことと、あとは21日目の記事内容を受け継いで書くのが難しいと思ったためだ。
結論から言えば、僕は21日目の最後に投げかけられた「受験を控える学生たちは、気張りすぎずに「勉強」を頑張ってほしい。」、これは賛成だが、その他にはあまり納得いっていない。というより、「うーん。」という感じだ。
「クイズ化した日本型学校教育」、僕は他国の教育がどうなっているか知らないので、我々が受けてきた教育が「日本型」なのかどうかは知らない。が、確かにある程度はクイズにはなっているだろうし、その点でそれがポケモンの名前に変わろうとなんだろうと同じだろう。
ただ、21日目に具体例で出した、
例えば高校時代の世界史の問題で「共産党宣言を著したのは誰か」という問題が出され、「マルクス」と答えることができたとして、それは世界史を学ぶ意義だろうか。
マルクスはヘーゲルの絶対精神・弁証法に始まる哲学を受け継ぎ、唯物的な世界史を、上部・下部構造に分解し、階級闘争の歴史と捉え、革命の必要性を唱えたのだ。
前者と後者の違いは、人物や事件を、時代の流れでとらえられているか、またその意義とは何かという理解がないという点である。この視点を失った時、勉強がクイズになってしまうのではないだろうか。
これはよくわからない。僕には後者の「マルクスはヘーゲルの絶対精神・弁証法に始まる哲学を受け継ぎ、唯物的な世界史を、上部・下部構造に分解し、階級闘争の歴史と捉え、革命の必要性を唱えたのだ。」これの方がよっぽど暗記に思える。その点で、別に「共産党宣言を著したのは誰か」ー「マルクス」の答えと、「マルクスとは誰か」ー「ヘーゲルの絶対精神・弁証法に始まる哲学を受け継ぎ、唯物的な世界史を、上部・下部構造に分解し、階級闘争の歴史と捉え、革命の必要性を唱えた人」これは等関係ではないのか。問いの違いだけのように思える。それに少し高校世界史の教材を開けば、「物や事件を、時代の流れでとらえられているか、またその意義とは何か」ということは大いに書かれているし、実際入試問題も表面上はクイズに見えるが、実際は丹念にその問題を捉えれば大きな流れや意義を問うように作られている。「共産党宣言を著したのは誰か」ー「マルクス」のような一問一答のような単純な問いを出す大学の方が少ないのではないか。見落としているのか、あるいはその真意を理解できていないのでは。
あるいは、この「日本型(?)教育」は日本における階層移動にも一役買っていると僕は思う。例えば、暗記をして解けるのではない、それこそ、本当に意義を問うような問題を問うたとしよう。それを答えられるのは結局、例えばその家にどれほどの本があったか、や、どれほど親の学歴、職がいいか、などの、その家の文化資本、あるいは経済資本も含めた各家庭の「資本」の問題に帰結しないだろうか。暗記という、最も単純で、そして最も平等に開かれた教育だからこその、階層移動が可能になるのではないかと僕は思う。そして、(もちろん日本も格差社会化していっている現状は知っているがそれでも)均質な社会を今まで保ってこられたのは、この単純な「日本型(?)教育」があるおかげなのではないだろうか。
そして最後に、21日目にした教育の批判はあまりにも紋切り型すぎる。「日本人が英語喋れないのは〜」、「クイズ型教育が〜」、このあまりにも凡庸な批判に対して、僕は返答するだけの言葉をあまり持っていない。「学校の成績は意味がない」、國井君の父親が言っていたらしい。僕はその場にいたわけではないので、あくまで想像でしかないが、「学校の成績は(大学で学ぶ学習には/英語を喋るためには)意味がない」という意味ではなかったのではないか。そのような教育の範疇だけで語っていたのではなく、「学校の成績は(生きる上では)意味がない」という、もっと大きな意味でいっていたように思える、。生きる上では学校の成績は意味を持たないだろうし、大学での研究も、英語を喋ることも、あまり意味がないだろう。「学校の成績は意味がない(だから、あまり気負うなよ。適当にやり過ごせ。流行にに本気でコミットメントしても騙されるぜ。)」僕は、國井君の父はそういう意味で言っていたように思えてならない。