【13日目】母の偉大さについて
ー執筆者 BBー
本当にお待たせしてしまいました。BBです。ここ最近少し我が家は色々あって中々忙しかったので更新が遅れてしまいました。本当に申し訳ない。今回は我が家について少しお話しさせてください。これは前回、前々回の投稿にも内容が被ってくると思う。
僕ーすなわちBBーの家は4人家族だ。僕は長男で、下に妹がいる。後は、母と父。僕は父と関係が恐らくあまり良くない。いよいよこの交換日記は誰にも見せられなくなってきたが、正直言って、父から何か人として「大切なこと」を教わった経験はない。でもだからと言って、決してひどい扱いをうけた覚えもない。自身の幼少期の経験(父の兄は大学に進学できたが、父は家庭の事情で出来なかった)から、何不自由なく僕は資金援助を受け育ってきた。僕は当たり前のように、私立中学に入学し、そのまま高校に進学し、予備校・塾に通い、所謂ある程度は「名門大学」に入学し、ある程度の「大企業」に内定をもらった。だから恐らく、父はいつも、僕自身ではなく、社会的な存在である僕(期末テストが何位で、どこの大学に通い、どこの会社に入った)を見てきている。僕がどんなことに感動し、どんなことを考え、どんなことに悲しんできたのか、ということには至って興味がないのだ。いや、興味がないというより、恐らく彼の中にもその感情はないのだろう。彼は、幼少期に父の母ーだから僕の祖母になるーが統合失調症を発症し、恐らく現在の僕自身の年の時に、自殺した経験がある。それ以来、これは僕の予想だが、彼は自身の実存的な問いを深く考えることを抑圧してしまった。彼の中自身も”分裂”してしまっているのだと思う。だから、僕はいくら僕が何かを本気で伝えようとしても全く相手に伝わらない、ということを経験してきた。血が繋がっているにも関わらず、圧倒的な<他者>なのだ。(だから余談だが、僕がエヴァンゲリオンを見て考えてしまうのはいつもシンジとゲンドウの関係なのだ。)
そんな我が家では、いつも、「家族」としての形態を何とか留めようとして、父の話を解釈し、2人の子どもの話をきちんと真面目に聞いていたのは、母だった。だから、僕は母がとても好きだ。よき理解者であると共に、よき話し相手だと感じている。(こんなことを言うと、國井君には「マザコン野郎が!」と言われてしまうかもしれないね。)
さて、その母が、最近乳がんであることがわかった。もちろんまだ検査中だが、進行もそれほど進んでいないため、手術をすれば何とかなる程度だ。(そしてそうあってほしい。)そして、現代日本では中年女性の11人に1人が乳がんになると言われているので、それほど珍しいことでもない。いや、しかしそれでも、5年生存率が「○%」とか書いてあると、死ががちらつく。もちろん我々は人間だ。いずれは誰しもがこの世から消える。当たり前のことだ。しかし、我々は常に既に親しい人々の<まなざし>の中で生きている。親しい人の<まなざし>にまなざされることで、僕は僕として生きている。特に我が家においては、父がまなざさなかった(と思っている)分、母からのまなざしは僕にとって大きな意味を持つ。母からの<まなざし>が消えるということは、僕は僕自身を如何に運営していくことが可能になるのだろうか。少し大袈裟に言うとこうなると思う。D.ウィニコットが、「子どもは誰かと一緒にいる時に1人になれる」と述べた時、端的には以上のようなことを指摘しているのだろう。全ての母は偉大だと思う。母ーあるいは女ーだけが、生という、新たな息吹をもたらすことができる。そして母は強い。思えば、フランス革命も、女性たちの怒りのエネルギーによるヴェルサイユ行進にその端緒を見ることができるかもしれない。
E.シオランは言う。「生には何の意味もないという事実は、生きる理由の一つになる。唯一の理由にだってなる。」これは本当にそうだろうか。確かに個別の生には、もしかすると、何の意味もないかもしれない。しかし人は誰でも常に「まなざすことーまなざされること」の網の目の中に入らざるを得ない。「まなざすことーまなざされること」の網の目の中では、1人の死はまなざしていた人の<まなざし>が消えるという意味では大きな意味を持つのではないだろうか。
あまりにも散文かもしれないが、どうか許してほしい。では、また。