【1日目】交換ノートを始めるにあたる考察
─執筆者 國井─
記念すべき最初の投稿に、このアカウントの意義を僕なりに咀嚼してみようと思う。
このアカウントの最も大きな特徴は、輪番制の3人の執筆者が存在することだ。パスワードは共有されているから、執筆者はみんな自宅からアクセスできる。当番になったら、思うままに好きなことをしたためて、次の担当に託す。
誰かが「交換日記」と言っていた。何を書くのも自由だけど、一つのアカウントを運営するということは僕たちに連続性を意識させずにはいないはずだから、確かに似ているように思う。
だけどそうならば、それを、あえてデジタルで開かれた空間でやるというのは、僕たちにどんな作用をもたらすのだろう。
もともと交換日記とは、いつもなら声によって交わされているコミニケイションを文字が代理する。
だからといってLINEなどのSNSツールと同じわけでもないはずだ。なぜなら、よく慣れたのフリップ操作から繰り出すレスポンスは、しばしば、迅速かつ口語的だからだ。どちらかと言ったら、LINEは、声と多くを共有しているんじゃないだろうか。
交換ノートの時間的な余裕は僕たちに文章を反芻する余地を与える。この丁寧に使われる時間は自己反省へと繋がって、そこから紡がれたメッセージからは、僕はいつも見落としていた君たちの側面を垣間見ることができるかもしれない。
つまり、執筆の作業を通じて僕に、そして公開を通じて君たちに、いつもと違うメッセージが届く。
秘密というのは、共有する者の内部に序列を作るという。あるコミュニティのヒエラルキイにおいて、知らない者は下に、知る者は上に位置する。それが国家ぐるみで実施されたのがナチスであると、アレントが言っていた。
交換ノートの閉鎖性は時に、影を伴う。第三者の可能性は、より多くの反省を生み出すと共に、健全な運営を保証することになるはずだ。
まったく奇妙な話である。今僕は、僕と、君たちと、知らない誰かに向けてメッセージを書いている。この文章には、想定しうる全ての視点が含まれている。これは結構、面白いことなんじゃないかな。