【29日目】「正欲」 相手への理解
執筆者 Taka
多様性という言葉について、自分が理解しているつもりでしかなくて、ただの知ったかぶりをしていた。
マイノリティが生きやすい社会にしようとか、LGBT問題は是正しないと!とかそんな言葉を聞いて
ある程度の勉強をして、社会のニュースを見て、そういうのちゃんと理解しないといけないなとか思っていた。
ただこの時、僕はいつも受け入れる側としての自分を想定していた。あくまで自分はマジョリティ側で、マイノリティをこっちの社会に受け入れてあげよう。そんなことを無意識にやっていた。
あと、僕はきっと誰のことも理解することは不可能だとも感じた。世界には僕の知らない趣味嗜好を持った人が大勢いて、自分の想像以上の世界が存在しているのだろう。
小児性愛者の問題がよく報道されている。幼い子供たちを性的に消費している人たちがいる。これはよく知られているマイノリティ側の趣味嗜好だと思われる。世の中にはこの他にもいろいろなものがあるだろう。◯◯フェチみたいなものだ。例を挙げるとしたら、首絞めフェチとかだ。
多様性という言葉のもと、これからいろいろな趣味嗜好が世に出てくるだろう。そんなとき小児性愛者を児童ポルノとして裁いてきたマジョリティ側の体制(主に異性愛者)はどれを害のあるもの/害のないものと振り分けていくのか。そもそもなぜ振り分ける権利があるのか。(私は小児性愛者は児童に危険を及ぼす可能性があるものと考えている。)
朝井リョウは「正欲」でそんなことを投げかけたいのかなと思っている。新潮社の社員さんも面接でそんなことを言っていた。
そして、これを私に実生活に還元するとしたら、自分の想像力のなさを認めること(=自分の知らない世界が広い)、他者のことは理解できない、そして自分のことを理解してもらうことも不可能だということを認めることだ。マジョリティにいなくても安心できるような人間になりたい。
あまりものの2人に対しても、彼らを理解するのは不可能だ。そして、彼らも私のことを全く理解してくれていない、そんなことを意識しながら彼らと関係を気づいていきたい。
でもこれはただ人間関係を諦めているだけになってしまうのだろうか。
これにて今回の投稿はおしまいです。
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