【10日目】無き王女(犬)のための当事者研究のための当事者研究
ー執筆者 BBー
1. はじめに
どうもBB(Big Baby)です。7日目にて國井くんに命名してもらった。そしてBBに改名し、僕の番に回ってくるまでだいぶ色々なことがあった。Takaと國井の論争だ。僕自身はいつもイソップ物語の「コウモリ」的スタンスでいるので、我介せずといったところだ。僕のスタンスはー多分に想像力が必要にかもしれないがー「分有」だ。我々の”好き勝手やってる感”、そしてそれを許すお互いの”寛容さ”、それが大切じゃないかな。そういえば、國井くんといつか話していてとてもいいなと思ったことがある。國井くんは確かこう言っていた。重要なのは「ユーモアと寛容さ」だと。僕はこれはとても良い言葉だと思う。僕らも「ユーモアと寛容」でいこう。明日のドライブも楽しみだね。
さて、國井くんは9日目に言う。
だけれども今夜、そのどれもがくだらない自己満足に思えて、それがなんとも言い表せぬ気持ち悪さを伴っていた。熱を上げて何かを書こうと、書ききれず、表現しきれず、伝わりきらない。そのことに対する絶望のようにも思う。
「【9日目】水色の夜にて」より引用
言葉の、言葉故の不可能性を國井くんは叫ぶ。僕も最近、同様のことがあったので、今回はそれについて書こうと思う。次回執筆予定者のTakaは、あなたの家の「さくら」に関係することだ。ぜひ、考えて答えて欲しい。
2. 亡き王女(猫)のための当事者研究
我らがーそういうと僕らの大学がバレてしまいそうだがー精神科医の斎藤環先生は、最近、愛猫チャンギを亡くされたらしい。かなり可愛がられていたらしく、noteにてご自身を「愛猫を無くされた方」として当事者研究されている。
かくいう僕も昔家には、僕が物心ついた時からいたマルチーズの「ファルコン(通称パル)」がいた。拾い犬で、映画『ネバーエンディングストーリー』のファルコンにそっくりだったので、そう名付けられたのだ。徐々におばあちゃんになっていって、老衰し、僕が小学1年生の、夏休み前のあるとても暑い日、家に帰ったら亡くなっていた。僕と母はその日、さめざめと泣いた。それ以来、僕の家ではペットを飼っていない。
3. 無き王女(犬)のための当事者研究のための当事者研究
さて、僕のガールフレンドの家も、犬を飼っていた。「飼っていた」と言うことは、この話、勘の良い人なら気づくかもしれない。そう、つい先日、亡くなったのだ。名前は「モモ」。僕も何度も会ったことがある。残念ながら僕に懐いてはくれなかったが、ちょこちょこ歩き回っていて、ガールフレンドに似てとてもチャーミングなチワワだった。彼女の家族にとても可愛がられていて、16歳(人間の寿命に直すと80歳!)の大往生だと、個人的には思う。
それでも、やはり、僕のガールフレンドは悲しんでいる。今日の本題はこうだ。その彼女に対して、僕は何もかけられる言葉を持たないのだ、と。残念なことに、僕は彼女と同様にモモと接していない、だから、僕はどうしても、どんな言葉を言っても、彼女が抱える想い以上の「ことば」を述べることは、伝えることはできない。「熱を上げて何かを伝えようと、伝えきれず、表現しきれず、伝わりきらない。そのことに対する絶望のようにも思う。」
「ことば」はーわれわれは普段意識しないがー<他者>に対して呼びかける時、あまりにも無力なのかもしれない。ある老犬の死と、それを悲しむ一人のひとに、僕ができることはどれほどあるのだろうか。
次はTakaだ。「さくら」ちゃんとは一体どこで出会ったのだろう、そしていつかやってくる、不可避のお別れをどうするのだろう。あるいは国井くん、君のおばあさんのお話もぜひ聞きたい。われわれは「死」をどのように受け止め、語り/語られるのだろうか。その時、語り/語られる「ことば」はどれほど有効なのだろうか。大分間口を広げたつもりだ。「死」についてでも、「ことばの無力性」についてでもいい。また「分有」的なnoteを楽しもうじゃないか。
帰途
言葉なんかおぼえるんじゃなかった
言葉のない世界
意味が意味にならない世界に生きてたら
どんなによかったか
あなたが美しい言葉に復讐されても
そいつは ぼくとは無関係だ
きみが静かな意味に血を流したところで
そいつも無関係だ
あなたのやさしい眼のなかにある涙
きみの沈黙の舌からおちてくる痛苦
ぼくたちの世界にもし言葉がなかったら
ぼくはただそれを眺めて立ち去るだろう
あなたの涙に 果実の核ほどの意味があるか
きみの一滴の血に この世界の夕暮れの
ふるえるような夕焼けのひびきがあるか
言葉なんかおぼえるんじゃなかった
日本語とほんのすこしの外国語をおぼえたおかげで
ぼくはあなたの涙のなかに立ちどまる
ぼくはきみの血のなかにたったひとりで掃ってくる
田村隆一『言葉のない世界』より