助けてもらうことはバンジージャンプと同じくらい怖い
「はあ? 今になってできてませんて、どういうこと?」
デザイナーにこう詰め寄られても、佐藤達也は謝ることができなかった。自分が悪いのはわかっている。でも、素直に自分の非を認めることができなかった。
「申し訳ありません」の代わりに達也の口から出た言葉が「そちらからいただいたデータに不具合があって、修正するのに手間取ってました」だった。そんなの嘘だ。
「遅れるなら遅れるで、事前に言えよ。何で黙ってたんだよ」
とデザイナーの怒りは増す一方だ。当たり前だ。データの不具合が本当のことだったとしても、報告するべきだ。
しかし、どうしても謝罪の言葉を出せない。次にどう言い返そうかと考えていると、リーダーの熊谷さんが仲介に入ってくれた。
「すみませんでした。僕の管理不行き届きです。明日の朝までには仕上げさせますから」
「お客さんには頭下げとくから、必ず明日の朝までにはやっといてくれよ」
デザイナーはしぶしぶ了承し、自席に戻って行った。
達也は派遣社員としてこの会社で働き始めて1年になる。職種はDTPオペレーターだ。デザイナーから指示を受けて、紙面にするためのデータをパソコンでつくり上げていく。
達也は専門学校を出て以来、この仕事を6年やってきた。スキルの面では自信があった。だが、いつも今回のようなトラブルを起こし、職場を転々としてきた。
「佐藤くん、ちょっといいかな」
熊谷さんに別室に呼ばれた。きっと今回の件で派遣契約を打ち切りにされるのだろうと達也は覚悟した。
「おとといの進捗報告では納期には問題ないって言ってたよね。何かあったのかな」
熊谷さんは怒っている様子もなく、むしろ心配そうな顔をしている。
熊谷さんは達也より2〜3歳年長なだけだが、落ち着いた人だ。声を荒げた姿は見たことがない。
今まではトラブルがあって怒られると、達也はいろいろと屁理屈を並べた挙句、最後には逆ギレした。そのたびに派遣契約は更新されず、次の派遣先を見つけなければならなかった。
熊谷さんから「何かあったの」と訊かれて、達也は戸惑った。
今回の案件は、間に合わないのは昨日の時点でわかっていた。だが大丈夫だと報告した手前、やっぱりできませんとは達也には言えなかった。そんなことを言えば、自分の作業時間の見積もりが誤っていたことを認めることになる。それは避けたかった。
なんて言おうか。また屁理屈をこねて自分を正当化した上で逃げるか。
そんな達也を見透かしたかのように、熊谷さんは言った。
「向こうが持ってきたデータには確かに問題はあったのかもしれないね。でもさ、それならそうでわかった時点で相談してよ。僕に言いづらかったら、タマちゃんでもいいしさ」
タマちゃんとは、達也と同じ仕事をする同僚だ。もともと派遣社員だったが、先月正社員になった。中国出身で、名前が「玉玲」というところからみんなにタマちゃんと呼ばれている。
タマちゃんは分け隔てなく誰とでも仲良くなれる、日本人にはないおおらかさがあって、社内の人気者だ。達也が社内で唯一親しく話せる人でもある。
そんなタマちゃんに対しても、達也は弱みを見せることはできなかった。自分はできる人間だと思われたかった。
「まあ、過ぎたことを言ってもしょうがないからさ、今からみんなで手分けしてやろう。幸い、今日は納期の厳しいのを抱えている人はいないから。佐藤くん、準備して」
は? 皆でやる? 達也はこれから徹夜して一人で作業しようと思っていた。そもそもこんな自分を手伝ってくれる人なんかいるわけがなかった。
「いや、俺一人で徹夜してやります」
と達也が言うと、熊谷さんはめずらしく苛立ったようなため息をついた。
「あのさあ、一人でやろうとすることって、誰のためにもならないんだよ? 迷惑かけたくないっていう気持ちがあるんだろうけどさ、それでまた間に合わなかったらどうするの」
達也は何も言えなかった。
「みんなには、急な案件が来たっていうことにしとくから」
熊谷さんは何もかもお見通しのようだった。
ずっと個人プレーでやってきたから、どうやって作業をみんなに振り分けたらいいのか達也にはわからなかった。おたおたしていたら、タマちゃんが助け舟を出してくれて、うまく采配してくれた。
急な残業になるのに、メンバーの誰も文句を言わずに作業を始めてくれたことに、達也は迷惑をかけて申し訳ないという気持ちと同時に、強烈な負け感も抱いていた。
そんな感情のせいで、達也の態度はより一層ぶっきらぼうになった。笑って「いやーすいません、やらかしちゃいました」と言えれば、どんなに楽か。
タマちゃんが、パソコンのモニターから目を離さずに話しかけてきた。
「なんか佐藤さんのお手伝いができてうれしいな」
「え」
達也は思わず隣の席にいるタマちゃんに顔を向けた。
「佐藤さんはさ、優秀だから仕事は一人で完結できるし、仕事早いから他の人のことも手伝ってくれちゃうし。でも、たまにはあたしたちに頼ってほしいなって思って」
「俺は人に迷惑かけるのが嫌いなんだ」
「日本人って人に迷惑をかけることをすごく嫌がるよね。でも、佐藤さんがあたしたちの仕事を手伝ってくれてるとき、迷惑そうな感じは全然しないよ。むしろ生き生きとしてるように見えたよ。だから、迷惑かけるってそんなに悪いことじゃないんじゃないかなあ。むしろ相手にとってはいいことなんじゃない?」
そういえば、と達也は思った。人の手助けをしているときは確かに気分がよかった。
でも、自分が助けられるのは、相手に迷惑をかけるものと思い込んでいた。だが、もしかしたら違うのかもしれない。みんなそうやって誰かの役に立ちたいと思っているのかもしれない。それを自分は勝手に迷惑をかけたくないからと一人で抱え込んでいた。
「終了〜!」
夜遅く、メンバーに振り分けたデータがすべて揃った。
「まだ10時半じゃん。佐藤さんがデータをきれいに準備しておいてくれたから早く終わったね」
熊谷さんが言う。
そんなことはない。みんなが集中して頑張ってくれたおかげだ。でも、達也はそれを口にすることができなかった。この期に及んで、無駄なプライドの高さが素直になることを邪魔をしていた。
プライドの高い達也にとって、助けを借りるということはチャレンジだ。今回は熊谷さんのお膳立てのおかげで、みんなに助けてもらった。でも次はもうないだろう。自ら「助けてほしい」と言わなければならない。
助けてもらえば、見下される。「やってやった」と恩着せがましいことを言われる。信頼されなくなる。達也はそんなことを恐れていた。
けれど、そんなものは現実には存在しなかった。勝手に殻に閉じこもっていただけだった。達也自身が、やってあげることで自分が優位に立った気でいたから、やってもらうことで見下されると思っていた。
そうではない。人を助けることで自分がうれしくなり、自分が助けられることで人を助けることにつながることもあるのだ。
自分だって、優位に立ちたい気持ちも確かにあったが、役に立っていることがうれしく感じたのは事実だ。
自分の弱さをさらけ出すことが、かえって人を助けることになるのかもしれない。弱さをさらけ出す勇気を持つことは、バンジージャンプを飛ぶことと同じくらい達也には難しいように思えた。でも、飛んでみれば大したことはないかもしれない。飛んでみようか。
タマちゃんが呼んだ。
「佐藤さん、はやくー。皆でビール飲みに行くよ」
みんなが達也のことを待っていた。