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記憶のないベトナム旅行

19年前の今日、わたしはベトナムにいた。
当時住んでいたシンガポールから行ったので近かった。

チャンギ空港から、ベトナム航空でハノイorホーチミンに入った。
客室乗務員の数がやたら多く、またみんなとても若くてきゃぴきゃぴ(古)と明るかった。
毛布を頼んだら、待てど暮らせど来なかったけど、忘れかけた頃、真剣に謝りながら持ってきてくれて、その様子がとてもかわいかった。

ハノイorホーチミンで小さな飛行機(一応ベトナム航空)に乗り換えて、ベトナムの別の街に行った。すでに夜だった。
その小さな飛行機には乗客が4人しかおらず、でもみんながひとかたまりに座らされていた。
欧米人だったら席を移りたいと客室乗務員に申し出るだろう。でも、そのときはわたし以外は全員素朴なベトナム人。しかもわたしは窓際で動きが取りづらく、律儀に決められた席に座っていた。
座席の背もたれは壊れていて、ちょっと倒したらぱったーんとフルリクライニングになりかけた。それを知ってか知らずか、ほかの皆さんは到着までデフォルトの角度のまま座ってらした。しかも、終始無言。
乾いたパンが入ったランチボックスみたいなのが、機内食として供された。

この旅のこと、これくらいしか覚えてない。
断片的に場面が頭には浮かぶんだけど、どうやって移動したのか、どんなところに泊まったのかなどということを、時系列的にかつ鮮明に覚えていない。
ハノイorホーチミンに入り、帰りは違う方から出国した(南から入って北から出たか、あるいはその逆か)のは確かだ。
ダナン、フエ、ホイアンに行ったことも確かだ、と思う。ほかにも行ったかどうかはわからない。

記憶は飛び、どこかからどこかまでバスで移動した記憶が蘇ってくる。バスをどう手配したのかも覚えていない。
バスは、「はとバス」くらいのサイズで、乗客は9割が欧米人、残りが香港あたりのひとたちだった。現地のひとたちが乗る路線バスではなく、旅行者用の移動バス?  みたいなもの?  だったのか、そこらへんもよく覚えていない。
ただ、とても不安だったことは覚えている。これで本当に目的地に着くのか、今どこを走っているのか皆目見当がつかない(スマホなんてなかったからGoogleマップで確認もできず)。外は土砂降りだし、欧米人たちは軽くドラッグでもやってきたのか、妙にはしゃいでるし。
どこかでバスが止まった。雨は小雨になっていた。ここじゃない気がしたが、乗客たちはどんどん降りていく。
運転手だったか、現地で待ってた係の人だかに訊いてみたら、ここが終点だという。えーっ!  なんか違うなんか違うと思って、自分はここに行きたいんだと言ったら……。
また記憶が飛んで、わたしは無事にホテルに到着し(おそらくバスのスタッフのご親切により)、とりあえずホテルのレストランで休憩かたがた昼食をとることにした。
レストランにはだれもいない。怖い。妙に気取ってはいるが。ウエイターはフレンドリーだった。とりあえずコーヒーをもらった。その後の記憶、もちろんない。

フエのレストランで、ブンボーフエが食べたいと言ってもまっっったく通じなくて、食べられなかったこと。
人々のマナーが洗練されておらず、昔の中国大陸に似ていたこと。
だから、ぼーっとしてるといつまでも横入りされて目的が達成されないのだが、バインミー屋台のおばさんが、わたしの前に割り込んできた女子高生を注意してくれたこと。
水墨画みたいな風景を見たこと。
ホテルからあぜ道のような道を歩いて、街まで行ったこと。
当時、日本でおしゃれベトナム雑貨が流行っていて、ハノイorホーチミンでそんな店に行ったけど、市場の方が俄然おもしろかったこと。
最後の都市ハノイorホーチミンで、ひたすら歩いて市場に行き、帰りはシクロでも捕まえようと思いつつ、結局歩いてホテルまで帰ったこと。歩数20,000歩くらいだったこと。

よく考えたら、この旅行に限らず、いろんなことをすべて鮮明に覚えているって、あんまり多くないかもしれない。
ネガティブな記憶は残りやすい、てか勝手に上書きしちゃって、フィクションな記憶になっちゃってることか多そう。
どうせなら、楽しい記憶を上書きして、いつまでも新鮮にしておきたいわね。

なんか写真も本当にベトナムのなのか自信がなくなってきた……。

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