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ときめかないけど捨てられない
先だって書いた記事のなかで、自分が病気になったときにひとから言われたことばで傷ついたことはない、てなことを書いた。
でもあとからよく考えてみたら、母の言うことに腹が立ったり、友人の励ましとはとれるものの「今、それ言うか?」と思ったりした記憶がよみがえってきた。
それらの好ましくない記憶は、忘れていたんじゃなくて、容易には取り出せないところにしまい込んでいたらしい。
その内容をここで書くことはおろか、あたまのなかからほじくり出して言語化することも今のところしていない。
自分の住まいだったら、好ましくないものはとっとと捨てる。
こんまり流にすべて床に並べて、「ときめく〜」「ときめかない〜」と捨てるものを選定していく。
いつか使うから、高かったからと、ときめかないものを押し入れの奥にしまい込むようなことは絶対にしない。いっとき迷うことはあるけど、短期間のうちに決着をつける。
だけど、ときめかない記憶を取り出して、ずらっと並べて、ときめくかどうかの選定をするほど強靭な精神と体力は持っていないし、わざわざ引きずり出す必要性も感じない。
それよりも、自分のずるさを最大限に利用して、見て見ぬふりをするのが一番だ。きっかけがない限り、それらがひょっこり顔をだすことはないんだもの。
そして、わたしにときめかない記憶を蓄積させるようなひととは、現実的に距離をとった。おかげで腹が立つことが減った。病気はストレスからって言うからね。
わたしの頭はほんとうに都合よく(=ずるく)できている。
他人から受けた好ましくない経験も手の届きづらいところにしっかりとしまい込まれているけど、他人に嫌な思いをさせたことはさらに奥の方に、絶対に取り出せないようなところにしまい込まれている。見て見ぬふりどころか、ほんとうに断捨離しちゃったのかもしれないと思うほどに。
そんな後ろめたさがあるから、傷ついたー、傷ついたーとあんまり声高に言えないのかもしれない。ムカついた! は言えるけど。
素直に傷ついたとか悲しいって言えるひとのことがうらやましい。皮肉じゃなくて、ほんとうに。
ずるいわたしには到底言えないことなのですよ。