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段のあるバス

<さよならステップバス>
2013年3月末日限りで都営バスから完全引退したステップバス(出入り口に階段のある車両)を描いた。モデルは深川営業所に所属していたS-E353号車。
エッセイは、バリアフリーという言葉の歴史とともに乗り降りしやすく改良されていった都営バス車両の歴史、そして筆者自身のステップバスについての思い出などについて書きました。

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 路線バスに乗車する時、最初に目に飛び込んでくるものは何だろう。私の場合、それは階段、いわゆる出入り口のステップであった。
 埼玉に住んでいた幼少期、スイミングクラブに通うためにバスをよく利用していた。子供の背丈に対してバスの車体はあまりにも大きく、その入り口に立ちはだかるステップに一歩一歩慎重に足を乗せる行為を子供心に神聖な儀式のように感じていた。交通機関を利用するために段差を乗り越えるということに対し、何となく他人の家に上がりこむような緊張感を覚えたのかもしれない。
 そして、晴れてステップを克服し、その車窓を流れる非日常的な光景(視点が高いという意味で)を眺めるのが好きだった。入り口のステップさえうまく突破できれば、後はどこへでも連れて行ってもらえる(実際には終点というものがあるのだが……)。バスという乗り物には、そんな感覚を引き寄せる不思議な魅力があった。
 バスの出入り口にはステップがある。ある世代以上の人にとって、これは当たり前のことだろう。しかしこのステップが体の不自由な方にとっては乗り降りの支障となり、気軽な外出をさまたげる要因の一つともなっていた。
 1970年、「心身障害者対策基本法」が制定されたことを機に、バリアフリーという概念が出発したとされるが、この言葉が一般に浸透するのは後年になってからである。交通局では当時からバスを利用しやすくするための取り組みを行い、71年にバス車内の床面を低くし、ドアを大きくした「低床車」を試験的に導入した。
 その後、バスメーカー4社に「誰もが乗り降りしやすいバス」の開発の要請をし、91年には「都市型超低床バス」として初めてのワンステップバスが登場。ツーステップながら床面をさらに低くした「らくらくステップバス」(コスト面から実際にはワンステップより普及)なども開発された。
 そして97年には初めてのノンステップバスが営業運行を開始。さらに、98年の長野パラリンピック冬季競技大会では交通局のノンステップバスが15台現地に〝出張″し、大会関係者の輸送に貢献した。
 このようにツーステップ、ワンステップ、らくらくステップなどの段階をへて、この4月からついに全ての路線バス車両がノンステップバスに置き換えられた。
 ステップつながりというわけではないが、『東京都交通局経営計画 ステップアップ2010年』にある「平成24年度までに、全ての路線バス車両を誰もが乗り降りしやすいノンステップバスにします」という目標が達成されたのである。
 これにより、体が不自由であるなどの理由で段差を乗り越えることが困難だったお客様の乗り降りが、今までよりも容易になった。特に車椅子のお客様がバスを利用する際、ステップバスでは車内の他のお客様に乗降のお手伝いをお願いする場面が生じたものの、ノンステップバスであれば、スロープ板を使用することで、基本的には運転手1人で対応することが可能になったのである。
 かつてのバスは乗降時にステップを乗り越えることが一種の儀式のように感じられ、そのことが幼少時の私自身の記憶として強く印象に残っていると、冒頭に書いた。読者の中には、ステップのあるバスにこそ、旅情や郷愁を覚えるという向きもあるかもしれない。
 しかし時代は変わった。バス(bus)の語源はラテン語の「全ての人のために」を意味するオムニバス(omnibus)であるが、都営バスはノンステップ化率100%を達成したことで、名実ともに「全ての人のために」を達成したと言える。
 もちろんステップがあろうがなかろうが、安全運転に努めることにより、この文言が生きることは言うまでもない。
 3月で役目を終えたステップバスへのねぎらいと感謝を込め、その特徴であったステップ部分を虹の濃淡で強調してみた。「段」のあるバスよ、今までありがとう。

都政新報 2013年7月9日付 都政新報社の許可を得て掲載
【参考資料】 
『都営バスの本―円太郎から都市新バスまで』 (ぽると出版 1993)
『国土交通政策研究 第3号~バリアフリー化の社会経済的評価の確立へ向けて』(国土交通政策研究所 2001)
『東京都交通局90年史 :21世紀への新たな飛躍 都営交通の10年』(東京都交通局90年史編さん委員会 2003)
『都営交通100年のあゆみ』(東京都交通局 2011)