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私たちの身の回りで、複数の言語のはざまで生きる人々:国際母語デーによせて

2月21日は国際母語デー。

私たちのまわりには,複数の言語のはざまにいる人々,自分の母語ってなんだろうと思っている人々もたくさんいる。私が身の回りで見聞きしたことについて,この機会に少し書いてみたい。


朝鮮学校の人々が話す言葉は「変な韓国語」なのだろうか

私の指導学生が朝鮮学校で使われている言葉について研究していたり,私自身も在日コリアンの人々と付き合いがあったりする関係で,朝鮮学校の言葉の録音音声を聞いたり,朝鮮学校を扱った映像作品を見ることがある。

朝鮮学校では,(日本語の授業の時間を除き)朝鮮語が用いられている。(なお,ここで「朝鮮語」と呼ぶか「韓国語」と呼ぶかは専ら政治的・社会的事情によるものであり,言語学的には「朝鮮語」も「韓国語」も同じ言語とみなすことができる。)

私の経験では,韓国の人々はたいてい在日コリアンのことをよく知らない。朝鮮学校という学校の成り立ちや背景もよく知らない。そんな彼らが何かのきっかけで,朝鮮学校で用いられている言葉を耳にしたとする。すると,こういう反応がしばしばある。

「変な韓国語をしゃべっている。」

「間違った韓国語をしゃべっている。」

韓国の人々がそのように感じるのはよくわかる。朝鮮学校の人々の言葉は,韓国語/朝鮮語のようであって,韓国の人々の言葉とは様々に異なっているからだ。

朝鮮学校の人々の言葉が韓国人の韓国語と異なるのには理由がある。朝鮮学校は,在日コリアンの一部の人たちの手で作られ,一世から二世へ,二世から三世へと継承され,維持されてきた学校である。一世の多くは,朝鮮半島(主に現在の韓国南部の慶尚道・全羅道・済州道)からやってきた。二世,つまり彼らの子どもたちは,日本で生まれ日本語を第一言語として育った。朝鮮学校では,最初は朝鮮語を母語とする一世が教員をつとめていたが,やがて朝鮮語を第二言語とする二世や三世が教員をつとめるようになった。そのような状況で,彼らの朝鮮語は,第一言語である日本語の影響を受けながら,複数の世代に渡って独自の変化をしてきたのだ。

そんな朝鮮学校の言葉は,「変な韓国語」なのだろうか。そもそも私の実感として,在日コリアンの人々の多くは,韓国人とは異なるアイデンティティを持っているし,朝鮮学校コミュニティに属する在日コリアンは,韓国人の韓国語とは異なる彼ら自身の言葉に愛着を持ち,誇りにしているように見える。

日系ブラジル人コミュニティ

私の住む愛知県には,外国籍を持つ人々が多い。2024年の統計によれば,県内総人口に占める外国籍の住民数の割合は4.3%だそうだ。

国籍別にみると,愛知県の外国籍住民の中ではブラジル国籍の人々が最も多く,61,305人である。その多くは日系ブラジル人だろう。

私の指導学生の一人が,日系ブラジル人の集住する地域で調査をしている。その地域では,小学校によっては日系ブラジル人がマジョリティとなる。小学校よりも広い学区を持つ中学校でも,日系ブラジル人と(日系ではない)日本人が半々となる。

日本の公立学校なので,彼らは日本語で授業を受けている。来日したばかりの生徒だと,日本語はあまりできない。一方で,両親がポルトガル語(ブラジル・ポルトガル語)を母語としていて,聞いたら理解はできるのだけど,自分自身ではポルトガル語は全く話せないという生徒もいる。

我が家の場合

複数の言語のはざまで生きている人々は,私のもっと身近にもいる。日本語を母語とする私と,オーストラリア国籍で韓国語を母語とする妻の間に生まれたうちの子どもたちも,複数の言語のはざまで生きている。それだけではない。外国人として日本で暮らす妻もまた複数の言語のはざまで生きているし,妻と結婚したことで私も多文化家庭というマイノリティの世界に足を踏み入れた。私もまた,複数の言語のはざまで生きているのだ。

私と妻の間では,日本語で話すこともあれば,韓国語で話すこともある。子どもたちはインターナショナルスクールに入れた。インターナショナルスクールに入れたいきさつは,以前に記事に書いた。

子どもたちの多文化的なアイデンティティを尊重できるような環境としてインターナショナルスクールを選んだのだ。ただ,誰もがそのような選択をできるわけではないこともわかっている。タレントで自分の子どもをインターナショナルスクールに通わせているパトリック・ハーランが,「正直,偽善者と思う」と語っているが,その気持ちが私にもよくわかる。

一方で,うちの子どもたちは週末に韓国学校にも通っている。在日コリアンの子たちや,ニューカマーの韓国人の子たちや,うちのように日韓ハーフの子たちが通う学校だ。

そんな我が家。私と妻は昔も今も,日本語で話したり,韓国語で話したりする。子どもたちは,学校では英語だが(といっても,インターナショナルスクールには日本人の子たちも多く,日本人の子どもたちとは日本語で話す),家では日本語を話す。韓国のいとこ達とは,拙いなりに韓国語で話そうとする。うちの子どもたちの奇妙なマルチリンガル事情についても,以前に記事を書いた。

上の記事はちょうど2年前のものだが,我が家のマルチリンガル子育ては,今もまだ苦戦中である。もうすぐサバティカルで子どもたちを連れてアメリカに行くので,また新たな局面を迎えることになるだろうと思う。

おわりに

バイリンガル・マルチリンガルの世界は決して遠い世界のことではない。バイリンガル・マルチリンガルの人々は,私たちの身の回りにたくさんいる。また,バイリンガル・マルチリンガルになりたくてなりきれなかった人々もたくさんいると思う。これは決してネガティブな意味では言っているのではなくて,いろいろなケースを見ていると,どこからがマルチリンガルでどこからがそうでないのかが,そもそもよく分からなくなるし,何が成功で何が失敗などということは安易に言えないと実感する。

とにかく,私たちの身の回りには,複数の言語のはざまに生きる人々がたくさんいて,様々なダイナミズムがあると思う。この記事の中で私が挙げてきたのとは異なるケースも,様々にあるだろうと思う。

ちなみに,「マルチリンガル」はユネスコの「国際母語デー」のキーワードの一つでもある。

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