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「教授ではなく先生と呼んで」をめぐる日韓対照言語学

「教授」に対する違和感

大学の教員になって十年以上が経つが、最近気になることがある。それは、学生からよく「教授」と呼ばれることだ。特にメールに多い。例えばこんな具合だ。

宇都木昭教授
はじめまして。
私は〇〇大学4年生の〇〇と申します。
オノマトペに関心を持っており、言語学の専門家である宇都木教授のご指導を受けたいと思っております。・・・

オノマトペだったら同じ大学のA先生のところに行くべきじゃないかというツッコミはさておき(A先生、新書大賞おめでとうございます!)、気になるのは「教授」と呼ばれていることだ。ポイントは二つあって、一つには「私は教授じゃなくて准教授なのに・・・」ということ(最近教授に昇進したのだけど、准教授の頃から「宇都木教授」というメールはよくあったので)、もう一つには、そもそもそこは「宇都木先生」というべきじゃないかということだ。

あるときは学生からインタビューを受けたことがある。緊張した面持ちの学生によるインタビューは、こんな感じで始まった。

宇都木教授はふだんどのような研究をされているのですか?

もっとも、面と向かって「教授」と呼ばれた経験は、メールと比べるとさほど多いわけではない。

またあるときは、うちの子の習い事の教室で、ある先生(学生アルバイト)が教室長の先生にこんな話をしているのが耳に入った。

学生アルバイト:「レポート1時間遅れて出したら、教授が受け取らないって言うんですよ。」
教室長:「それは遅れたあなたが悪いんじゃないの?」

こういった「教授」の用法に違和感を持つのは、私だけではないらしい。X(旧Twitter)では「教授」の用法に関する話題をよく目にする。

韓国の場合

ここで韓国の場合を見てみよう。韓国語には「先生」に相当する선생(님)という言葉と「教授」に相当する교수(님)という言葉がある。

以下は、韓国のある大学教員が書いた文章を日本語に訳したものである。(ChatGPTで下訳をした上で修正した。)

人によって感じ方は異なるだろうが、私たちは「先生」と呼ばれるのが「教授」と呼ばれるよりも聞こえが良いと思う。8・15以降、人々の接触が非常に多くなったため、その前に適切な呼称がなかったためか、「先生」という呼称が広く使われるようになり、今では誰もが「先生」になったが、それでも「先生」と呼ばれるのが「教授」と呼ばれるよりも良いと思う。それでも学生たちは言葉の最後に「教授、教授」と言う。この言葉を聞くたびに、昔の軍隊時代に階級で名前の代わりに呼ばれたことを思い出し、本当に聞き苦しい。軍隊社会は厳格な階級社会なのでそういうものだが、学校社会まで職称である「教授」を好んで呼ぶ理由はわからない。このように呼ぶなら、「キム非常勤講師」「イ専任講師」「パク副教授」と呼ぶべきではないだろうか。

これは実は、今から40年以上前、1977年に韓国の新聞に掲載されたコラムである。("우리말의 현주소 <57> 선생님과 교수님" (姜信沆), 東亜日報 1977年3月23日。この記事を教えてくださった高麗大のシン・ジヨン先生に感謝します。)

この記事が書かれてから40年以上が経った今、私が観察する限りでは、職位としての教授、副教授、助教授はみな「教授」(교수님)と呼ばれるのが一般的だ。「先生」(선생님)と呼ばれることもあるが、学生が大学教員を呼ぶときの呼称としては「教授」が圧倒的に多いと思う。

おそらく今の韓国語では、「教授」(교수)には職位としての(副教授や助教授を除く)教授の意味と、職業としての(教授、副教授、助教授を全て含む)教授の意味とがある。そして、職業としての教授に対する呼称としての「教授」(교수님)がある。上の記事が書かれた頃はまだそのような「教授」の用法が定着していない過渡期で、人によって受け取り方がかなり違ったのだろう。

そう考えると、もしかしたら今の日本も、「教授」という言葉の用法に関する言語変化の過渡期なのかもしれない。


[付記]最初のイラストはDALL-E 3で作成しました。


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