YouTubeの中のTAたち ―音声学の授業から―
※この文章は名古屋大学生協『かけはし』(教職員・院生版生協だより)2022年7・8月号への寄稿を転載したものです。
2020年春、新型コロナウイルスの感染が拡大する中、大学の中は混乱していた。4月からの授業をどうするかという問題である。当初、3月ごろ、名古屋大学の方針は、部分的にオンライン授業を取り入れようというものだった。3月下旬にはオンライン授業の講習会がZoomで開催された。4月になると、全面オンライン授業に方針転換。オンデマンドとかリアルタイムとか、ZoomとかNUCTとか、コロナ以前は話題にされることのなかったような言葉が飛び交い、家でwifiが使えない学生がいるらしいとか、学生のパケットの上限に気をつけないといけないとか、そんな話が耳に入ってきた。そして、準備も不十分なままに、新学期の授業に突入した。学生の視点からはまた違ったように見えたかもしれないが、教員目線では、2020年春はこんなかんじだった。とにかくバタバタだった。ただ、バタバタする中で、新たな気づきもあったと思う。
私は文学部・人文学研究科で音声学を教え、教養教育院で朝鮮・韓国語を教えている。これから書くのは、音声学の授業の話だ。
音声学は言語学の下位分野とみなされたり、隣接分野とみなされたりするような分野だ。平たくいえば、発音に関する学問である。音声学者はよく、パソコン上で音響分析という手法で音声を分析したりする。研究者によっては、MRIなどの装置を使って発音するときの口の中の動きを観察したりもするし、知覚実験を行ったりもする。ただ、学部の授業では、もっと基礎的なこととして、発音の一般的な仕組み、発音を表記するための記号、そして、世界中の言語の事例を学ぶ。世界の言語には、実に多様な発音がある。例えば、喉の奥の方を震わせるような発音を用いる言語もあるし、息をたくさん出すような子音を用いる言語もあるし、舌打ちのような音が単語の中で用いられるような言語もある。音声学の伝統的な授業スタイルでは、そのような多様な音の発音練習をする時間を、授業中に設ける。コロナ禍以前の私の授業も、そのようなスタイルをとってきた。
コロナ禍でオンライン授業が始まった2020年の春学期、音声学の授業の進め方は大きな変更を余儀なくされた。そもそも、授業中に教室で皆で喉の奥の方を震わせたり、息をたくさん出したりしたら、口から飛沫がたくさん飛びかねない。その他様々なことを考慮して、私の授業はオンデマンド型とリアルタイム(Zoom)の併用で、メインの解説は動画ではなくテキストベースの資料として配布するという形式で行うことにした。幸い、音声記号に対応する発音と様々な言語の実例の音声を聞くことができるようなウェブサイトが、コロナ禍以前から複数存在しているので、それを参照してもらうことで、音声を聞きながら学ぶこともできる。
一方で、具体的な例について、YouTube上で何か役に立ちそうな動画はないだろうかと思うようになった。吸着音と呼ばれる舌打ちのような音については、コロナ禍以前からアフリカ南部の言語に関するYouTube動画を授業中に見せたりしていた。他の言語に関しても、そういうものが何かないだろうかと思ったのだ。
そうやって探してみると、予想以上にいろいろと見つかった。ウェールズ語の側面摩擦音についてウェールズ語話者が英語で解説しているものとか、咽頭摩擦音についてアラビア語話者が英語で解説しているものとかだ。世界中に、自分の母語について誰かに教えたいと思っている人たちがいる!それは、興味深い発見だった。
もっとも、そのようなユーチューバーたちの解説が音声学的に正しいとは、必ずしも限らない。むしろ不正確であることは少なくない。口の中のこのあたりをこのように使って発音するんです、などと言われても、「いや、そもそも人間の口の中の構造はそんなふうになっていないんですけど・・・」と思うこともある。それは、私たちが自分の言葉の発音をどの程度理解しているかを想像してみれば、当然かもしれない。例えば日本語で、「さんま」の「ん」と「神田(かんだ)」の「ん」の発音が違うとか、「雑誌(ざっし)」の「ざ」と「あざ」の「ざ」の発音が違うとか、そういうことは言語学・音声学を専門的に習った人でないとなかなか知らないものだ。「ば」や「だ」の発音が年配の人たちと若い人たちで異なる傾向にあるという話などは、言語学者でも音声を専門としている人でない限り、知らないかもしれない。自分の母語について私たちはよく知らない、むしろ、母語話者ではない研究者の方がよくわかっているというケースは少なくない――このことは、言語学者・音声学者ならよく実感していることだろうが、一般的にはあまり知られていないと思う。
さて、そうはいっても、発音を解説するユーチューバーがその言語の母語話者であれば、そこで出てくる発音の実例は間違いなく本物だ。しかも、それまでの教材の付属教材にありがちだったような無味乾燥の単語の読み上げではなく、母語話者が音節や単語を何度も発音しながら、それを一生懸命説明しようとしてる。そこにはリアリティが感じられる。
考えてみれば、これは私が名古屋大学で担当しているもう一つのタイプの授業――初修外国語としての朝鮮・韓国語の授業において、母語話者のTAに授業に加わってもらうことに似ている。TAのいる語学の授業ではよく、教科書の例文などをTAに発音してもらう。それだけでなく、朝鮮・韓国語でこういう表現はOKか尋ねたり、韓国の文化や生活に関することを経験にもとづいて説明してもらったりすることもある。もちろんそこには不正確な説明が含まれていることもあるが、それは教員が補足説明をすればよい。あるいは、TAが語ってくれる話が、それまで一般的に言われていたような朝鮮・韓国語や韓国文化の特徴と異なることもあるが、それは教員にとっても考えるきっかけとなる。言語も文化もバリエーションがあるし、また変化しているので、専門家といえども、新たな話を聞き、それをきっかけに調べて知識をアップデートしていくことは大切なことだ。
様々な言語のユーチューバーたちも、TAのようなものだと思えばいいのかもしれない。彼らの説明が不正確であるとしても、それは教員が音声学的な観点から補足すればよいことだろう。また、彼らの発音がその言語の「教科書的な」発音と異なっているとしても、それは方言かもしれないし、最近の変化なのかもしれない。彼らと対話をすることができないのは残念だが、世界中にTAがいるという魅力は何物にも代えがたいものがある。この文章を読んでいる皆さんもぜひ調べていただきたい。例えば、南スーダンのディンカ語とか、東チモールのテトゥン語とか・・・私たちがなかなか耳にしたことがないような言語でも、どこかの国でそれなりの割合の話者人口を持つ言語であれば、YouTube上で調べるとたいてい何かしら動画を見つけられる。
さて、この世界中のTAたちを、授業の中でどう活かすか。私にとってはまだ模索中の段階である。