やさしさときびしさ
「やさしさ」を書こうと思った時にまず思い浮かんだのは対義語である「きびしさ」だった。けれども、よくよく考えてみるとそれは本当に対義であるのかと疑問を持ってしまう。
同義語まではいかないが、きびしさの中にやさしさがあり、やさしさの中にきびしさがありそれは同じグループのようにも思える。
今までの経験からどちらか一方では存在できない。そんな感覚だ。
例えば、誰かがやり方を教えてくれるとする。
一方は1から100まで事細かく教えてくれる。一方は自分で考えてやりなさいと言う。
さてどちらがやさしいか?
細かく教えてくれる方がやさしいように感じやすいし、考えてやりなさいはきびしいようにもみえる。
でも…どちらもやさしくはないし、どちらもきびしくない。
結局は対となり考えるものかと思う。
この場面では。この子には。
使い分けは不平等ではなく公平であると思う。
一般的に親切がやさしさと捉えがちだが、そうではなく。
しっかりと伝える人の事や、その状況を理解し、自己決定できる手助けをすることをやさしさと呼んでもいいのかもしれない。それにはきびしさも重要だと感じている。これもひとつのやさしさの形かなと。
今の時代は少しきびしさの少ないやさしさが先行しているようかなと思う。