孤独で快適なサード・プレイス/ 三中信宏
本書『読む・打つ・書く』は、これまで数十年にわたって続いてきた私と本との “格闘記” である。本を読み、その書評を打ち、そして本を書くという人生を私は送ってきた。本とのつきあいはその大部分が仕事だった。研究者としての本務として本を読むこともあれば、書評の仕事を引き受けることもあり、本の執筆もまた生業となった。
本をめぐる出版事情はあいかわらず出口の見えないきびしい状況が続いている。出版社や編集者の側はより魅力的な本づくりを目指して日々努力を重ねているだろう。しかし、世の中にそもそも “本を読む人” がいなければそもそも本は売れないし、 “本を書く人” がいなければ売る本にも事欠くことになるだろう。また、 “本を書評する人” がいなければ世に知られないまま埋もれてしまうだろう。
昨今の社会を見回すと、学術書であれ一般書であれ、本を手に取って読むというごく当たり前のことが揺らいでいるのではないだろうか。そして、書評文化が必ずしも根づいてはいない日本では、読んだ本の書評を書くことは定着しているとは言えないし、そのスタイルもまた根が浅い。書評は単にその本を紹介したり読者に宣伝したりするだけのものではない。本を書くことにいたっては、自分の仕事ではないと考えている人がとくに “理系” の研究者コミュニティーの中では大半ではないだろうか。
本書は、ひとりの “理系” 研究者がこれまでどのように本を読み、書評を打ち、著書を書いてきたかを、一般論ではなく、できるだけ具体的な自分自身の経験に基づく考察としてまとめた本である。 “文系” の学問分野では「読む・打つ・書く」をめぐる論議が聞こえてくることもあるが、私が知るかぎり、いわゆる “理系” の研究分野で、読書論・書評論・執筆論をまとめて論じた本はほかにはない。
第一部「読む」では読書論を展開する。原著論文を通して “断片化” された知識を得ることと、一冊の本を読むことにより知識の “体系化” を図ることの対比を中核に据える。 “理系” の研究者としてキャリアを積む上で、読むべき本をどのように探し出していくのか、いわゆる「電子本」はどこまで信用していいのか、さらに読書の実践的技法などについて考察する。読者ひとりひとりの “探書アンテナ” を鍛えていくことは読書人としてのリテラシー養成にもつながるだろう。
第二部「打つ」は書評論である。日本の多くの新聞・雑誌の書評欄では長い書評記事が出ることはあまりない。一方、インターネット上の書評サイトではもっと長文の書評が公開されることもある。私は2019年から2020年にかけて読売新聞の読書委員として書評を担当してきた。その経験も踏まえた上で、目的に応じた書評スタイルについて、実例を挙げながら解説する。さらに、実名あるいは匿名で書かれた書評をどのように読み解けばいいのかについても考察した。書評の書き方についてはこれまでいろいろ論じられたことはあったが、書評の読み方についてのまとまった議論は本書が初めてではないだろうか。
第三部「書く」は私の実体験に基づく執筆論である。とりわけ “理系” の分野では、原著論文は書いても単著の本を書いてみようという動機付けがなかなか湧いてこないのが、昨今の日本の研究環境の実情だ。しかし、私は自分を “実験台” にして、日々の着実な努力の積み重ねで本を書きあげる手立てがあること示した。本の執筆の入り口でまだためらっている彼ら書き手の背中を押すことが本章の大きな目的である。
仕事として本と向き合ってきた私自身の経歴を振り返ると、公的な研究機関の環境がどのように “劣化” してきたかに言及しないわけにはいかない。私が所属する農林水産省系列の国立研究開発法人は、大学とは一味も二味も異なる変遷を遂げてきた。とりわけ、近年は、資金配分・組織改革・マンパワーのいずれをとっても急速に研究環境が変わってきた。変革にはプラスとマイナスの側面がつねにつきまとう。たとえ “スクラップ・アンド・ビルド” を理想に掲げたとしても、組織の末端では単なる “スクラップ・アンド・ヴァニッシュ” にしかならないこともあるだろう。仕事として本と向き合うとき、私は “劣化” し続ける研究環境 —— 本書では「限界集落アカデミア」という言葉を用いた —— のなかで、マイナーな研究領域を絶滅させないための孤独な試行錯誤についても論じた。本の世界は、私にとってたとえ孤独であっても快適な世界(「サード・プレイス」)をもたらしてくれた。
以上、本書は、本をめぐる三つの側面 —— 読書・書評・執筆 —— の現状と問題点を示し、何をどうすればいいのかについて、経験と実験を踏まえた実証的な提言をする。本書のサブタイトルが示すように、本書は “理系” の分野での「本」に関する日々の営み全般について再考してもらおうという意図で自然科学・科学史・科学哲学分野の本を主たる実例として取り上げている。しかし、内容的にはさらに広く一般の読者にとってもきっと参考になる部分が多いだろう。
三中信宏(みなか・のぶひろ)
読む・打つ・書く 読書・書評・執筆をめぐる理系研究者の日々
三中 信宏 著
ISBN978-4-13-063376-5
発売日:2021年06月18日 四六:368頁
【内容紹介】
ようこそ、みなかワールドへ! 理系研究者を生業としながら,数多の本を読み,新聞やSNSなどさまざまなメディアで書評を打ち,いくつもの単著を出版してきた〈みなか先生〉からの〈本の世界〉への熱きメッセージ.さあ,まずはたくさん本を読もう! 【東京大学出版会創立70周年記念出版】
【主要目次】
本噺前口上 「読む」「打つ」「書く」が奏でる “居心地の良さ”
プレリュード――本とのつきあいは利己的に
1.読むこと――読書論
2.打つこと――書評論
3.書くこと――執筆論
第1楽章 「読む」――本読みのアンテナを張る
1-1.読書という一期一会
1-2.読む本を探す
1-3.本をどう読むのか?――“本を学ぶ”と“本で学ぶ”
1-4.紙から電子への往路――その光と闇を見つめて
1-5.電子から紙への復路――フィジカル・アンカーの視点
1-6.忘却への飽くなき抵抗 ――アブダクションとしての読書のために
1-7.“紙” は細部に宿る――目次・註・文献・索引・図版・カバー・帯
1-8.けっきょく,どのデバイスでどう読むのか
インターリュード(1)「棲む」―― “辺境” に生きる日々の生活
1.ローカルに生きる孤独な研究者の人生行路
2.限界集落アカデミアの残照に染まる時代に
3.マイナーな研究分野を突き進む覚悟と諦観
第2楽章 「打つ」――息を吸えば吐くように
2-1.はじめに――書評を打ち続けて幾星霜
2-2.書評ワールドの多様性とその保全――豊崎由美『ニッポンの書評』を読んで
2-3.書評のスタイルと事例
2-4.書評頻度分布の推定とその利用
2-5.書評メディア今昔――書評はどこに載せればいいのか
2-6.おわりに――自己加圧的 “ナッジ” としての書評
インターリュード(2)「買う」――本を買い続ける背徳の人生
1.自分だけの “内なる図書館” をつくる
2.専門知の体系への近くて遠い道のり
3.ひとりで育てる “隠し田” ライブラリー
第3楽章 「書く」――本を書くのは自分だ
3-1.はじめに――“本書き” のロールモデルを探して――逆風に立つ研究者=書き手
3-2.「読む」「打つ」「書く」は三位一体
3-3.千字の文も一字から――超実践的執筆私論
3-4.まとめよ,さらば救われん――悪魔のように細心に,天使のように大胆に
3-5.おわりに――一冊は一日にしてならず……『読む・打つ・書く』ができるまで
ポストリュード――本が築く “サード・プレイス” を求めて
1.翻訳は誰のため?――いばらの道をあえて選ぶ
2.英語の本への寄稿――David M.Williams et al.,The Future of Phylogenetic Systematics
3.“本の系統樹” ――“旧三部作” から “新三部作” を経てさらに伸びる枝葉
本噺納め口上 「山のあなたの空遠く 『幸』住むと人のいふ」