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「接人」のその後/高山大毅

南原賞を受賞した頃のことを思い出すと、往時と現在の違いについて考えてしまう。受賞にまつわる記憶の中で、いとおしくすら感じてしまうのは、式典や懇親会の場で、並んで座った方々と交わした会話である。新型コロナウイルス感染症の影響で、隣の席に居合わせた人と話をするという機会が極端に減ってしまった。会議室においても、飲食店においてもそうである。オンライン会議は、相手の顔がディスプレイに映り、仮想的なものではあれ、相手と正対している(さらに画面上の自分の姿とも向き合っている)。共有画面を見ながらの音声でのやりとりは、隣り合った感覚に近いかもしれないが、たまたま席が隣になってしまったという偶然性の要素はない。隣の席になった人と、ざわめきの中で交わす話は、「対話」などと呼び得るような仰々しいものではないが、時に重要な情報が共有されることもあり、それで事が動き始めることもある。座席配置が人々の心に及ぼす影響に関しては、つとに心理学の研究が存在しており、素人が云々するのは憚られる。ただ、「対話」の重要性だけでなく、横に並んで気安く話すことの価値について考えてみても良いのではなかろうか。

このような人づきあいの作法や型の問題は、受賞作である『近世日本の「礼楽」と「修辞」─荻生徂徠以後の「接人」の制度構想』の主題とも関係している。「接人」とは「人に接(まじ)はる」、つまり人づきあいのことである。江戸時代の荻生徂徠に始まる一連の思想の流れは、制度や型の創出によって人間関係に操作的に介入することに強い関心を注いだ。たとえば、徂徠は、臣下は勇気をふり絞って主君に諫言すべきである─といった精神論は説かない。臣下が主君の前では萎縮し、落ち着かなくなることを徂徠は所与の条件として認める。徂徠によれば、古代中国の優れた制度設計者(「聖人」)は、臣下が腰に複数の玉器を帯びる「礼」を定め、玉器が触れ合う時に鳴る音がゆるやかな宮中の音楽の拍子に合うような歩調にさせていた。このような「礼」によって臣下の心には余裕が生まれ、彼らは主君に対して意見を言いやすくなっていたのだと徂徠は説く。

現実にこのような方法が有効なのかは分からない。しかし、この種の徂徠学派の議論は私にとって非常に興味深かった。荻生徂徠は、日本思想史の中でも豊かな研究の蓄積がある。南原繁の指導を受けた丸山眞男の『日本政治思想史研究』(初版1952年、東京大学出版会)が、徂徠の思想を高く評価したのは良く知られている。ただし、右のような徂徠の説を取り上げた論考は少ない。そこで、「礼楽」と「修辞」(言語活動の型といえる)をめぐる徂徠に始まる議論の流れを追いかけてみたところ、水足博泉や田中江南といった今日忘れられた学者のこれまた興味深い所説に出会った。また、後期水戸学の代表的な思想家であり、狂信的な尊王論者と思われがちな會澤正志齋も、このような流れの中で捉えると精彩に富んだ思索を展開していることが分かった。好奇心のおもむくままに、論文を書き、それが拙著の原型となる博論となった。

南原賞の有難いところは、元になった論文の修訂の自由度が高いことであった。出版助成の制度によっては、助成決定後は、著作の枚数を動かせなくなるといったことがあるが、南原賞にそのような制約はなかった。また、編集者の斉藤美潮さんは、誰もが表舞台に立ちたがる時代に、裏方の美学を知っている方で、校正ゲラに記されたコメントは的確で、進行管理は盤石の安定感があった。校了の踏ん切りがつかない筆者にも斉藤さんは根気強く付き合って下さった。南原賞を受賞して良かったことは多々あるが、自分にとって最良の条件・環境で単著をまとめられたことを先ずは挙げたい。

拙著をまとめる過程で、改めて自覚したのは、「近世日本の「礼楽」と「修辞」」といっても、江戸期の「礼楽」論・「修辞」論の検討に拙著の力点は置かれていて、「礼楽」の実践や、具体的な詩文の「修辞」を一層分析する必要があるということであった。

「礼楽」に関しては、2014年頃から、水戸の徳川ミュージアムの德川家旧蔵史料調査に加わるようになり、受賞後は、右のような意識から、水戸德川家の喪祭礼の研究に力を入れた。朱舜水研究で高名な徐興慶先生率いる調査団のメンバーには、江戸期の儒礼実践が専門の田世民先生もおり、並んで史料を撮影しながら、第一級の史料に触れられる幸福を二人で噛みしめた。水戸德川家は、儒学式の喪祭礼を現在に至るまで継承している。德川家旧蔵史料調査の特色は、水戸德川家墓所の保存整備や今日の喪祭礼の実践と連関していることにある。光栄なことに、調査の成果に基づき、水戸德川家第十四代夫人の逝去の際に埋葬式の式次第と諡を定めるという貴重な経験をすることができた。水戸德川家には江戸期の喪祭礼に関する豊富な史料が伝わっており、儀式の詳細を明らかにすることができる。ただ、現在においてそれを忠実に行うことは困難なので、「礼意」を斟酌しながら、今でも実践可能な方式を考えなくてはならない。この種の苦労は、「礼」の本場である中国の士大夫の頭を悩ませていたことでもある。経書に記されている「礼」を後代そのまま実践することは「礼」の本場においても難しかった。経書に見える「礼」は、世襲の統治者が各地域を支配する「封建」の世の制度を前提としている。しかし、後代の中国は、中央から派遣された官吏が各地域を統治し(「郡県」)、官吏も科挙試験によって選抜されるようになった。中国の士大夫は、このような政治体制の変化に対応した「礼」のあり方を模索した。私も、世襲の統治者無き時代の「礼」のあり方を考えていたわけなので、彼らと同じ問題に対峙していたといえる。先人と同じ地平に立つことで「礼」に関わる文献に対する理解が深まった。

「修辞」に関しては、この数年、徂徠学派の詩の表現技法についての論考を発表している。前任校の駒澤大学では、漢文学の授業を担当しており、散文だけでなく、詩を積極的に取り上げた。その時の蓄積を、育児の傍ら論文にまとめて発表している。徂徠学派の詩は従来、擬古主義で徹底した中国趣味であると評されてきた。しかし、彼らが模範とした明代の李攀龍の詩には、和歌の縁語や掛詞と類似した表現が用いられている。和歌文学の伝統と李攀龍らの詩の表現技法の期せざる一致が徂徠学派の詩の背景にあり、中国的/日本的といった単純な図式で彼らの文学を理解するのは失当である。思想史研究者として見られがちな自分であるが、文学研究者として二足のわらじを履いてきたつもりであり、「下手の横好き」といわれても、しつこく文学研究を続けたいと思っている。

「接人」の思想の系譜に対する研究を掘り下げる上で、法哲学者の谷口功一先生を代表とするスナック研究会(通称「スナ研」)での共同研究は刺戟に富んでいた。サントリー文化財団の助成を受けて、様々な専門の剛の者たちと、「スナック(バー)」を研究した。スナック研究会に対して、「普段はお高く留まった大学の先生がスナックの研究なんていい気なもんだ」といった反応をする人がいるが、「高い」位置にいるのはスナックなのであって、スナックはやつし趣味で到底扱える対象ではない。詳しくは研究会の論集である『日本の夜の公共圏─スナック研究序説』(白水社、2017年)を参照して頂きたいが、スナックという業態がどのような行政の規制を受けているのかを把握するのも甚だ厄介であり、私は行政学者の伊藤正次先生の快刀乱麻の説明なくしては、到底それを理解できなかった。ありふれていることは平易であることを決して意味しないのである。私は、「夜のまち」での社交が人間を陶冶するという議論の系譜について考察した。全日本スナック連盟会長である玉袋筋太郎氏のスナック論は、初期の宣長の議論と思考の型を共有している。こじつけではなく、本気で私はそう思っている(詳しくは前掲書の拙稿参照)。2018年に刊行された玉袋氏の『粋な男たち』(角川新書)は、氏が「江戸思想のシーラカンス」的な存在であることの傍証となっており、自説の正しさに一層の確信を抱いている。冒頭に記したような横並びに座ることの面白さについて考える最初のきっかけを与えてくれたのもスナ研である(スナ研は、「夜のまち研究会」としてメンバーを増やし活動を再開する。現在の情勢下において「夜のまち」について考えることの意義は贅言を要しないであろう)。

南原賞・サントリー学芸賞を頂いたことで、徂徠関係の仕事も増え、『思想』1112号(岩波書店、2016年12月号)で荻生徂徠生誕250年特集を組むことができた。2028年は、徂徠没後300年になるので、何か面白い企画ができないかと考えている。学部以来、現在に至るまで20年近く、徂徠研究をしているが飽きることはない。ただし、この数年は、徂徠学の影響力が衰える19世紀(寛政期以降)の思想に対する分析にも取り組んでいる。院生時代は、徂徠学中心史観で、徂徠学の人気がなくなる19世紀には苦手意識があった。しかし、徂徠学への愛が深まり過ぎた結果なのか、「徂徠の存在を知りながら、徂徠学以外の枠組で思考している人々は面白い存在なのでは」と思える境地に到達してしまった。19世紀日本の人々はしきりに、「元気」や「気力」を奮い立たせるべきであると説く。しかし、このような主張は18世紀にはほとんど見られない。「元気があれば何でもできる(ので強い刺戟を加えて元気を奮い起こすべきだ)」型の思考というのは、存外に歴史が浅い。今でも、大胆な改革で「活力」ある社会を実現するといった議論はしばしば見られる。しかし、「活力」とは一体何なのであろうか。「活力」という曖昧な概念によって、改革の目的設定がおかしなことになってはいないか。19世紀以来の思考の枠組に引きずられることで認識が歪んでいることがしばしばあるように思われる(この問題に興味のある方は拙稿「「振気」論へ――水戸学派と古賀侗庵を手がかりに」〔『政治思想研究』19号、政治思想学会、2019年〕を御参照頂きたい。政治思想学会のホームページから全文の閲覧が可能である)。

受賞から6年、その間に、家族が二人も増え、所属大学も変わり、そしてコロナ禍のこの状況である。たった6年前が遠い昔のように思える。ただ、受賞によって得られた自信は大きく、学問の楽しさは変わらない。『論語』の冒頭を引くまでもなく、学問は本質的によろこばしく、楽しいものであり、当今の学術を取り巻く環境に時々悲憤することはあっても、とりわけ後続の世代には、楽しさを示すことは大事であると思う。早く、横並びの席で、楽しい学術的雑談をできる日々が戻ってくることを願ってやまない。

(たかやま・だいき 日本思想史・文学)

初出:『UP』588号 (2021/10)

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