【70年を読む②】齋藤正彦 『線型代数入門』を読む/解題:斎藤 毅
文・斎藤 毅(東京大学大学院数理科学研究科教授)
1966年の初版以来、東京大学出版会最多の64刷を重ねる『線型代数入門』は、出版会とともに歴史を歩んできた本の代表でしょう。線型代数というとなじみの薄い人もいるかもしれませんが、ベクトルと行列といえば高校で学んだことを思い出されるでしょうか。線型ということばは、1次関数のグラフや1次方程式が直線を表すことから来ています。線型代数とは、思い切って単純化すれば、これを多変数にして高次元にしたものです。
「本書は、幾何的な理解を重視し、解析的側面にも配慮のなされた、バランスの良い線型代数の教科書として、1966年の初版以来、大学における数学教育に大きな寄与をもたらした」ことにより、2006年に日本数学会から出版賞を受けました。受賞者のことばでは「何のために書いたのかと聞かれ、私は『十年後の日本の技術水準を上げるためだ』と答えました。(中略)その後の二十年で日本は高度成長をなしとげたのですから、私の答えもまんざらでたらめではなかったのかもしれません」とおっしゃられており、戦後の日本の歴史を作った一冊ということになるでしょう。
初版当時は線型代数ということばそのものが新しいものでした。行列式や行列の理論は古くからありましたが、数学の現代化の流れのなかで、平面や空間のベクトルから、その変換を表す行列、さらには抽象的な線型空間と線型写像も明快に解説する画期的な本として登場しました。その後、線型代数は大学数学の必修科目として定着しましたが、そこで学生は、連立1次方程式の解法として行列の基本変形による掃き出し法を学びます。このアルゴリズムが『線型代数入門』の特色で、受賞者のことばにも「この部分がとくに評価されたのではないか、とひそかに思っています」とあります。『線型代数入門』と掃き出し法は、線型代数の教科書のスタンダードとなりました。
1985年出版の『線型代数演習』とともに、今も現役の教科書として、例年4月には各大学の教科書売り場で平積みにされています。
出版会のPR誌『UP』2000年11月号「50年の本棚から9 線型代数入門(基礎数学1)」によれば、数学の教科書シリーズを出そうということで、当時本郷キャンパスの第二食堂の隣にあった出版会の二階の会議室で開かれた会合に出席したところ、まず線型代数の教科書を作ろう、という話になり、結局なんとなく著者がそれを書くことになった、と執筆にいたるいきさつが明かされています。文系、理系を問わず広く応用される数学のなかで、線型代数は複雑な現象の1次近似の理解を支えています。IT産業の高度化やビッグデータの利用が高まる中で、線型代数は今後ますます重要なものとなっていくでしょう。その確実な基礎を与えるものとして、『線型代数入門』はこれからも多くの読者に支持されていくものと思います。
この文章を執筆中に、齋藤正彦先生のご逝去を知りました。先生の遺されたものの大きさを改めて感じ、ご冥福を心よりお祈りいたします。
斎藤 毅
斎藤 正彦 著『線型代数入門』
ISBN978-4-13-062001-7/発売日:1966年03月/判型:A5/ページ数:292頁
【内容紹介】
線型代数の最も標準的なテキスト.平面および空間のベクトル,行列,行列式,線型空間,固有値と固有ベクトル等7章の他,附録をつけ線型代数の技術が習熟できる.各章末に演習問題があり,巻末に略解を付す.
【主要目次】
はじめに
まえがき
第1章 平面および空間のベクトル
第2章 行列
第3章 行列式
第4章 線型空間
第5章 固有値と固有ベクトル
第6章 単因子およびジョルダンの標準形
第7章 ベクトルおよび行列の解析的取扱い
附録I 多項式
附録II ユークリッド幾何学の公理
附録III 群および体の公理
あとがき
問題略解