【70年を読む③】小林康夫・船曳建夫 編 『知の技法』(1994年)| 解題:小林康夫
四半世紀以上の時が流れて、いま、振り返るということならば、いささか過激な言い方をさせてもらおうか。一冊の「革命」であった、と。
なにしろ表紙は、虹色の光沢の銀のイラスト。髪の毛を逆立てた若い少年が両手を前にあげながら大股開きで一歩を踏み出そうというところ。だが、その前に広がるランドスケープは、小さな亀、トンボ、山高帽をぬいだらツルンと禿頭の……これは何だ?……まるで「地球」みたいだが、後ろには湾曲する城壁のような部厚い本か、さらにどの言語とは知らず、文字列らしきものも上部に書かれている……。イラストは飯野和好さんの作品、装丁は鈴木堯さんのチームの仕事だったが、「おかたい」研究専門書ばかりを出している東京大学出版会の本の表紙としてはまさに革命的! 編集の羽鳥和芳さんから原案を見せられたときに、衝撃のあまり共編者の船曳建夫さんと顔を見合わせて絶句したことを思い出す。
だが、装丁チームは編者以上にこの本の本質を見抜いていた。
それは、東京大学という(ぼろぼろにヒビが入っていてもなお)「象牙の塔」である構造体に、辺境の「駒場野」から「リベラルアーツ」という「急なる風雲」を告げようとするメッセンジャーであったのだ。
ことの経緯からすれば、教養学部のカリキュラム改革にともなって文系の「基礎演習」という科目が新規に開設され、蓮實重彦学部長の命を受け、そのための学科横断的な教科書をわたしが構想したというだけである。
だが、結局のところ、それは「教科書」ですらなかった。それはむしろ、あらゆる「教科書」以前であるような根源的な「学びの意味」を、そしてそれとともに「知の歓び」を開くガイドブックであろうとした。
その根底にあった理念は、「知は知識ではなく行為である」ということである。知は、まずみずからを、そして世界を更新する革命的行為である! 「教養」とは知識の集積ではない、日々あらたに世界を学ぼうとする君自身の「態度」のことだ! ということを、それぞれの先生方の具体的な「現場」の行為を通して教え伝えたかったのだ。
だからわたしの思いとしては、それは続編の『知の論理』、続々編の『知のモラル』(さらには第4作目の『新・知の技法』までも含めてもよいが)まで行くことで完結するものであった。「行為」という以上、どうしても「モラル」は問われなければならないからである。
しかし、あらゆる「革命」は忘れ去られる。勃発の出来事は注目されるが、その継続は無視される。いま、「リベラルアーツ」は、その「自由のアート(それこそが「技法」なのだ!)」はどうなっているのか? 髪の毛を逆立てた大股開きのあの少年は、いま、どんな野原を歩いているのか?
小林康夫
知の技法 東京大学教養学部「基礎演習」テキスト
小林 康夫 編船曳 建夫 編
ISBN978-4-13-003305-3
発売日:1994年04月08日 判型:A5 ページ数:296頁
内容紹介
カリキュラム改革が進む東大教養学部で,93年度から文系1年生の必修科目として開設されたゼミ形式の「基礎演習」のテキスト.最先端の学問の魅力を紹介し,論文の書き方・口頭発表の仕方・資料の集め方等を収めた「究極の参考書」.
主要目次
はじめに
第I部 学問の行為論―誰のための真理か(小林康夫)
第II部 認識の技術―アクチュアリティと多様なアプローチ
[現場のダイナミクス]
フィールドワーク―ここから世界を読み始める(中村雄祐)
史料―日本的反逆と正当化の論理(義江彰夫)
アンケート―基礎演習を自己検証する(丹野義彦)
[言語の論理]
翻訳―作品の声を聞く(柴田元幸)
解釈―漱石テクストの多様な読解可能性(小森陽一)
検索―コンコーダンスが聞く言葉の冒険旅行(高田康成)
構造―ドラゴン・クエストから言語の本質へ(山中桂一)
[イメージと情報]
レトリック―Madonnaの発見,そしてその彼方(松浦寿輝)
統計―数字を通して「不況」を読む(松原望)
モデル―ジャンケンを通して見る意思決定の戦略(高橋伸夫)
コンピューティング―選挙のアルゴリズム(山口和紀)
[複数の視点]
比較―日本人は猿に見えるか(大澤吉博)
アクチュアリティ―「難民」報道の落とし穴(古田元夫)
関係―「地域」を超えて「世界」へ(山影進)
第III部 表現の技術―他者理解から自己表現へ
0.表現するに足る議論とは何か(船曳建夫)
1.論文を書くとはどのようなことか(門脇俊介)
2.論文の作法(門脇俊介)
3.口頭発表の作法と技法(長谷川寿一)
4.テクノロジーの利用(長谷川寿一)
5.調査の方法
結び―「うなずきあい」の18年と訣れて(船曳建夫)