見出し画像

【21世紀を照らす】 東京大学教養学部英語部会 編著 『東大英単』(2009年) 解題: 能登路雅子

入学したばかりの東大生に「現在の自分の英語力で何が足りないか」とたずねると、「知ってるつもりの英単語のニュアンスや使い方がわからない」「読むにも書くにも語彙力のなさが壁になっている」といった答えが返ってくる。2006年度からの教養学部新カリキュラムで改めて総合的な読解力を養うためのひとつの方法として、英語部会で独自の語彙テキストを編纂しようということになった。編集チームには言語学、ヴィクトリア朝英文学、辞書学、シェイクスピア研究、アメリカ文化史など多様な専門の教員6名が集まり、私がまとめ役をつとめた。スコットランドやアメリカ出身の同僚もいて、それぞれのもつ英語の知識と実体験を総動員した編集会議の白熱ぶりは、いまも忘れられない。

全14章の各章では、学内の必修統一テキストの『OnCampus』から抽出した各20語を英語で定義した上で、複数の例文を示した。典型的な用例を心がけたが、なかにはハイゼンベルグの不確定性原理、ヴィトゲンシュタインの言語理論、マヤ暦など、学生の知的好奇心を刺激するトピックもちりばめられている。学生たちはこうした「高度な」内容を好む一方で、身近な話題も求めている。そこで、編集の最終段階で新しいアメリカ大統領が誕生したので、ほやほやの就任演説からいくつかの例文や練習問題を作成した。

学内での試用を経て出版するにあたり、この真面目だが型破りなテキストにどんな書名をつけるかも大問題だった。議論百出の末、ずばり『東大英単』はどうかという意見が出た。東京大学というところにはふしぎな体質があって、自分から東大を名乗ることにためらいを覚えるようだ。一方、世間の側では「東大式…」「なんで私が東大…」などと商業的に利用して憚らない。そこで、退職された英語部会の大御所たちにご相談したところ、「恥ずかしがることはない。やって出してみたら」と背中を押してくださった。

2009年3月末の初版発売のあと、4月下旬にはアマゾン・ジャパンで(短時間ではあったが)総合ランキング一位を記録して、チーム一同仰天した。書名のインパクトもさることながら、海外業務などで英語で苦労している社会人読者から熱い支持を得たためでもあろう。本書はその後CDブックも出て、台湾版や韓国版も翻訳出版された。いま現在も大学の授業では、入学後の英語学習のモティベーションを上げ、英語発信力を高めるためのテキストとして活用されており、習ったばかりの単語を組み合わせて作った英文を互いに改善しあう作業などに学生たちは熱心に取り組んでいる。

これまでは単語を和訳とともに丸暗記する古色蒼然たる学習法が横行していたが、本書は「覚える語彙」から「使える語彙」へのシフト装置、ひとつの語からその背後に広がる言語文化の風景を照らし出す道しるべとして、英語学習の現場にささやかな一石を投じることができたかもしれない。初版から12年、『東大英単』の持続可能な効用を確信する一方で、本書を踏み台とした新発想の教材が登場することを期待している。

文・能登路雅子
初出:創立70周年記念リーフレット第2弾「21世紀を照らす」(2021年8月)

画像1

書誌詳細/注文ページへ


いいなと思ったら応援しよう!