『国家の解体』刊行にあたって/塩川伸明
1991年12月,ソ連の消滅というこの重大事件を歴史的に解明する大作がこのほど刊行されました。著者の塩川伸明先生による「刊行にあたって」を掲載します。
文・塩川伸明(東京大学名誉教授)
国家はどのようにして解体するのだろうか。政治的、経済的、社会的な危機が累積していたというような背景が容易に思い浮かぶ。しかし、そうした危機は必ずしも国家の解体に直結するものではない。政権は変わるかもしれないし、経済のあり方や社会の仕組みも変わるかもしれないが、それもたいていは同じ国家の中での変化である。
もっとも、ソ連という国の場合には、そういった一般論にはとどまらない特殊性がある。特異なイデオロギーを奉じ、それに基づいて特異な政治経済体制をとっていたから、そのイデオロギーの虚妄性や体制の非効率性があらわになることで自ずと崩壊したのだ――多くの人がいだいているのは、こういうイメージだろう。だが、これもまた国家の解体を直ちに説明するものではない。ポーランド、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリアといった諸国はソ連と同様のイデオロギーと体制を投げ捨てたが、国家は解体しなかった。社会主義ポーランドが資本主義ポーランドになっただけである。では、社会主義ソ連が資本主義ソ連になる可能性はなかったのだろうか。
そんなことはあるはずがないというのが大方の常識だろう。何といっても、ソ連こそは「マルクス=レーニン主義」「共産主義」の総本山であり、その国名もそのことを表現していた。1980年代後半に始まった、いわゆる「ペレストロイカ」と呼ばれる一連の改革も、社会主義の否定ではなく「社会主義の再生」を目指した「上からの改革」だった。
ところが、そのようにして始まったペレストロイカは数年のうちに当初の想定を超えてエスカレートし、その末期においては、事実上の体制転換を目指すようになっていた。ソ連共産党指導部も社会民主主義政党への変容を模索し始めていた。もちろん、そこには種々の曖昧さや中途半端さがつきまとっており、その模索がどこまで本格的なものだったかには議論の余地がある。それにしても、そのような試みがあったということは事実である。何も、「その試みが成功していたならよかったのに」という未練論を述べようというのではない。ここで言いたいのは、そういう試みがあったという事実自体がほとんど知られていないために、「どのようにして」という問いそのものも滅多に立てられることがなく、ソ連解体という巨大な出来事が単純に自明視され、そのプロセスに関する立ち入った解明もなされないままに放置されているということである。
本書はこの問いに、多民族連邦制国家の分解という角度から迫ろうとしたものである。課題が巨大すぎるため、さまざまな限界をかかえた試論にとどまるが、とにかく世界的にも未踏の境地に挑戦したつもりである。読者がその挑戦を受けとめてくださることを期待したい。
塩川伸明
『国家の解体 ペレストロイカとソ連の最期』
塩川 伸明 著
ISBN978-4-13-036282-5 発売日:2021年02月26日 判型: A5ページ数 2394頁
内容紹介
1991年12月,ソ連の消滅.冷戦の中心であった特異な大国が,ペレストロイカと呼ばれる改革を経て,国家解体に行き着くこの重大事件を歴史的に解明する.15の共和国の独立にいたる紆余曲折の局面を詳細に分析し,複雑な相互関係がもたらした終焉の総合的な分析を試みる.現代史研究の第一人者による集大成.
▶東京大学出版会創立70周年記念出版