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お経を読むのではなく思い出を語る

先日、法事に参加してきました。

少なくとも私が知る限り、法事と呼ばれるイベントは

1.お仏壇の前でお経を聞く
2.みんなでご飯を食べる

の二部構成になっていて、現代においては故人の冥福を祈るといった宗教的な意味合いよりも、法事を名目にして親戚一同が集まって交流する方に重きが置かれることが多く、要するに何が言いたいかと言うと

「お経、要らなくね?」

ということです。

お経の意義

もちろん、お経を聞きながら(あるいは唱えながら)静かに故人を偲ぶという行為は尊いものだと思います。
が、これは私が薄情なだけかもしれませんが、故人のことを小一時間も思い出し続けるほどのネタはない。

子供たちなんかこそこそ遊んでるし。よく考えたらこの子たち、そもそも故人のことを知らんのだよなあ。

もういっそ、ご飯会だけで良くね?

いや、でも口実は口実で大事だよなあ。

お経をBGMにそんなことを考えていたら、第一部のお経タイムを

故人の事跡をたどるイベント

に置き換えたら良いんじゃないかと思ったのです。

つまり

「おばあちゃんは○○年に生まれて、子供の頃はこんな子で、こんな仕事をしていて、趣味はこんなのがあって、おじいちゃんとはどこそこで知り合って、二人でよく○○に旅行に行って、第一子が生まれた時はこんなことがあって、初めての孫にはこんなことをして……」

みたいな感じで、故人の事跡を紹介するのです。
結婚式で流れる(だいたい流れますよね?)新郎新婦の紹介ムービーをイメージしていただければ良いと思います。

直接面識のあったきょうだいや子供は「ああ、あの時はこんなこともあったなあ」って懐かしく思い出せるし、そうでない孫や曾孫は「ひいおばあちゃんはこんな人だったんだ」って知り、語り継いでいくことができます。
その後のお食事会でも、自然と

「おばあちゃんとこんなことしたよね」

って話題が出てくるでしょう。

別に動画を作らず、一人一人が思い出を語るような形にしても良い。
とにかく故人に関する記憶を掘り起こし、それを次の世代に継承していくことができれば、方法は何だって良いと思うのです。

生前、まったく縁のなかったお経を聞かされるより、そっちの方が故人も喜んでくれるんじゃないかなあ。

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