やりたいことが見つからないなら、見つかるまで探せばいいじゃない
最近妙に
「やりたいことが見つからない」
というご相談をいただくことがあって、私ってそんなにやりたい放題やっているようにでも見えるんでしょうか?
とはいえオルタナティブが大事にしている価値観のひとつに
「人生は一度しかないし限りがあるんだから、やりたいことやって使わないともったいない!」
というのがあるので、そう感じていただけるなら本望なのですが閑話休題。
とにかくやりたいことが見つからないという方向けにお伝えしたいことがあるというか、端的に言えば毎回同じようなこと言うのめんどくさいのでnoteにまとめておこうという次第です。
そもそも「やりたいことが見つからない」ってどういう状態なのだよ
やりたいことが見つからない。
見つからないということは探したと思うんですが、じゃあどこを探したんでしょうか?
たぶん、自分の周りを見回して、知っているあれやこれやをリストアップして、んー、この中にはないなあみたいな状態になっているのだと思います。
つまり「やりたいことが見つからない」をより正確にいうと
「自分が認知している範囲内にはやりたいことが見つからない」
となるはずです。
名前も存在も知らないものを「やりたい」と思うことは、たぶん人類には不可能なので。
つまり図解するとこんな感じです。
この青丸の中にやりたいことが見つからない。そんな時はどうすれば良いかというと、大きく二つのアプローチが考えられます。
とりあえずやってみる
一つ目は、見える範囲のものをとりあえずやってみることです。
程度差はありますが、たいていのことは実際にやってみないと面白さは分からないものです。
表面を見て「やりたいことではないかも」と判断したものでも、やってみたら意外とハマってしまったなんてことは大いにあり得ます。
やりたいことが見つからない……とクヨクヨするくらいなら、とりあえずやれそうなものをやってみることをお勧めします。
認知領域を広げる
二つ目は、認知領域を広げるということです。
図解するとこんな感じ。
たとえばこの記事を読んでいる方の中で、これまでに一度でも「アルティメット・タック・ボール」をやってみたいと思った方はいらっしゃるでしょうか?
おそらくいないと思います(いたらびっくりなので是非ご連絡ください)。知らないものはやりたいと思えない。
アルティメット・タック・ボールにのめりこみ、人生のすべてをアルティメット・タック・ボールに捧げ、アルティメット・タック・ボールの世界的なプレイヤーになりうる可能性を持つ人も、アルティメット・タック・ボールを知らなければアルティメット・タック・ボールを知らない一市民として生涯を終えることになるわけです。
ちなみにアルティメット・タック・ボールはこんなやつ。Wikipediaに記事があるとは思いませんでした。全員がスタンガン装備とか、クレイジーすぎんだろ。
とにかくまあ、広げる必要があるわけです、認知領域を。
具体的な広げ方
では具体的にどうすれば良いかというと、よく言われているのが「人、本、旅」です(立命館アジア太平洋大学の出口治明学長が発信元……かな?)。
いろんな人に会う。話を聞く。生き様を見る。
いろんな本を読む。同じテキストデータという意味で、ネットの記事も本扱いで良いかもしれません。
いろんな場所を訪れる。知らないものを見て、違う価値観に触れる。
その際は意識的に知らないもの、今までとは違うものに接することを心掛けてみるのが良いでしょう。
いずれにしても言えることは
やりたいことが見つからない時にすべきことは、行動です。
もちろん、人生を振り返ったり内省したりといった時間も大切です。
しかしある程度それをやって何も出てこなかったのならば、もう行動しちゃった方が早いぜ。
同じ「やりたいことが見つからない」でも、立ち止まっているのと、どこか(前かどうかは別として)に向かって進んでいるのとでは、雲泥の差があると思うんだぜ。
私が言いたいのは、そんなところです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。 小難しい話からアホな話まで、気の向くままに書いてます。 「スキ」を押すと、これまでの記事のエッセンスやどうでもいいネタがランダムで表示されます。