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よく分からないままに判断をする危険性について

人は、何かよく分からないものに出くわした時

自分が持ち合わせている知識を動員して、よく分からない部分を補完しようとします。
つまり「常識的に考えたらこうなっているに違いない」という推測です。

そして、その推測に基づいて、その是非を判断します。
しかし、その推測が間違っていたとしたら? 見えない部分が想像していたものとまったく違うものだったとしたら?

言うまでもなく、是非の判断は誤ったものにならざるを得ません。

報道を見て是非を判断することの害

SNSを見ていると、様々なニュースに対して

「あいつはひどい奴だ」
「これは間違っている」
「彼はこうすべきだ」

と論じている人たちが非常に多い。

しかし、考えて欲しいのです。
あなたがたはそのニュースについて、どれだけのことを知っているのかということを。もしかしたらこの絵だけを見て

見えない部分は「常識的に考えて」こうなっているだろうと推測して

「黄色い積み木は安定している」といった判断をしていないでしょうか?
その判断に基づいて「安定しているんだからもっと積むべきだ!」などという主張をしていないでしょうか?

見えない部分は、実際にはこんな風になっているのかもしれません。

この場合、黄色い積み木は乗っているだけでも奇跡と呼ぶべき状態でしょう。先ほどの「推測に基づく判断」そしてそこから導かれる主張は誤っているということになります。

判断する時は材料の確度を常に確認すべし

自分が持ち合わせている知識だけを使って見えない部分を推測する。
あるいは、誰かの「見えない部分はこうなっている」という意見を裏も取らずに鵜呑みにする。

それはデマに踊らされる、デマを生み出す危険な行為と言わざるを得ません。

正しく判断したければ、見えない部分が実際にどうなっているのか実際に確認する。あるいは、せめて自身の判断が何らかの推測に基づいているのだということを自覚する。

特に結論部分が

「自分もそう思っていた」
「そうあってほしい」

というものであればあるほど疑問を持たずに受け入れてしまうものです。
一度立ち止まって、その情報が本当に信用に足るものなのかをしっかり考える。
あるいは、自身の判断の前提となる情報が間違っているかもしれないと常に疑いを持つ。

そうした態度が必要なのではないでしょうか。

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