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囲碁から学ぶ「正しい決断をすること」について

誰だって、決断をする以上は「正しい決断」をしたいものです。

その際、誰の目にも明かな「正解」があれば良いのですが、通常はそんな都合の良い状況はめったにありません。

選択肢を複数挙げて
メリットとデメリットを洗い出して
自身の優先順位と照らし合わせて
最善と思われるものを選び取る必要があります。

しかし、そうして選んだ「最善」であっても

「挙げ忘れている選択肢があるのではないか」
「考慮していないメリットまたはデメリットがあるのではないか」
「バイアスがかかって判断を誤っているのではないか」
「優先順位を間違えているのではないか」

などなど、選んだ道が最善のものだったのか、疑い始めたら際限がありません。

囲碁でもこういうことはよくあって

特に序盤のまだ盤上に置かれている石が少ない局面で多く見られるケースですが、誰が見ても明らかに悪い手を除けば、どこに打っても甲乙つけがたいことが多々あります。こうした状況はしばしば

「この局面ではどこに打っても一局」

と表現されます。
こうした状況では、打った時点ではどの手が良いのか優劣を判断することはできませんが、その後の展開によって後から

「結果的に、この手を打ったお陰で優勢になった」

ということが判明するのが常です。

それじゃあ別の手を選んでいれば勝った/負けたのかといえば必ずしもそうではありません。
やはりその後の展開次第で、まったく別のゲームになっていたはずです。

選択そのものよりも、選択後の行動

決断する時点では、明らかな間違いは分かっても明らかな正解は誰にも分からない。
明かな間違いを排して「どの選択肢も甲乙つけがたい」という状況まで絞り込めたならば、どれを選んでも、その選択だけで最終的な良し悪しが分かれるわけではない。

たとえば、就職先や進学先をどうするか。
転職するか、しないか。
結婚するか、しないか。

ほとんどの場合、人生を左右するような決断にその時点で分かる「明らかな正解」などないはずです。
ゆえに、一度選択してから

「あの時あちらを選んでいたら」

と悔やむよりも、自分の選択を正解に近づけるために何をすべきか考える方が、たぶん建設的なんだと思います。

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