親愛なるカラスたちへ
清水哲朗『トウキョウカラス』を見てきた。(展示は9月25日で終了しています)
展示を見ているときは、カラスを主役にした写真に囲まれた空間の心地よさに酔いしれたようになりながら、ちょっと涙が出そうになったりして、「なんだろう、これは」と思いながらも展示と同名の作品集を購入し、イマイチ現実感が乏しいフワフワした頭で会場を後にした。
喫茶店に入り、少し落ち着いた状態で作品集を見始めて、うまく言葉にできなかった感覚が解った――というより甦った、と言ったほうがしっくりくるかもしれない。
なぜ自分にとってカラスが特別な存在なのか。
忘れないようにしていたはずなのに、あっという間に過ぎ去っていく日々に埋もれてしまっていた。
それをこの写真展と作品集が思い出させてくれた。
八年前、突然起こった出来事を受け止めきれず、途方に暮れていた自分が日常を失わずにいられたのは、あるハシボソガラスの夫婦がいてくれたからだ。
あの日、彼らは黙々と餌を探していた。いつもと変わらない姿。生きるために餌を採る。
一方には茫然自失し、日常生活にまで支障がでている人間がいる。
その対比に思い至ったとき、自分がひどく滑稽に思えた。
「ここにはいつもと同じ情景がある。自分だけがこの世界から切り離されたわけではない。世界は何も変わっていない」
そう思ったら、ふっと心が軽くなった。
まるで彼らに「大丈夫だから」と言われているような気すらした(当然気のせいである)。
同じ種である人間から、どんな言葉をかけられても、どんな共感の情を示されても、こんなふうには思えなかっただろう。
カラスの存在だけが、あのときの自分を救ってくれた。
それ以来、ますますカラスにのめり込み、力強く生きる姿に感服した。
その一方で野生で生きることの厳しさや人間との軋轢を目の当たりにし、落ち込むこともある。だけど当のカラスたちは、そんな人間の思惑などどこ吹く風だ。ただ彼らの日常を生きている。
そんな私が惚れ込んだカラスたちの生き様が、この『トウキョウカラス』に収められていた。
清水氏も作品集のあとがきに「カラスの生命力に魅了された」と書いている。そして写真からもその力強さがあふれている。
そんな作品に頭の中のどこかが反応したのは必然だったのだろう。
忘れてはいけないのに否でも応でも遠ざかっていく記憶。それを再び手繰り寄せ、くっきりと浮かび上がらせてくれる『トウキョウカラス』。
この作品とカラスたちが存在している限り、きっと大丈夫だ。