うとQ世話し 内外(うちそと)合せ

2021/3/12
(うとQ世話し 内外(うちそと)合せ)
「誰かに見られているから、こう振る舞わなきゃいけない、こう思わなくちゃいけないというのは、もうやめたいものです。心にもなく、或いは心とは裏腹に」
「こうやったらこう思われる。こう振る舞ったらこう取られる、と害の及ばない着地点ばかり探して、手も足も出さない生活はもう止めたいと思います」
昔、プロ野球の或選手が連続逆転打を打った後に、インタビューアーから
「今の調子はいかがですか?」
と訊かれ
「絶好調です」
と答えて以来「絶好調男」と呼ばれる様になったのですが、それを境にその選手は絶不調が続きました。
当時自分は、それを見て
「余計なこと言わなきゃ良かったのに」
と思いましたが、今ではそれとは反対に
「あれで良かったんだ」
と思う様になりました。
思い返すと「余計な事を」と思った時の「守り主体の自分」感覚では
「絶好調と言ったが最後、常にそうでなくてはならなくなる。ところが一旦不調になれば、先の宣言が重圧になって、益々不調の度合が上がり、抜け出せなくなってしまう」
「だから安全ののりしろを取って黙っておくに越した事はない」
というものでした。
しかしその後、そんな考え方ばかりしていた自分は長期に渡りうつ病を罹患し、その経験から、
「うつ病も同じかもしれない。活躍し、一旦期待されたが最後、常に活躍し続けなくてはならないと思い込み、それが出来なくなると(うつ病等になると)活躍した事や期待された当時に戻ろう、なんとか応えようという気持ちが重圧になり、益々うつ病の度合いが悪化する」
という前述のメカニズムと全く同じものに依る事が分りました。
それで同じく前述の最後の部分、即ち
「だから安全ののりしろを取って黙っておくに超した事はない」
という部分を換えて
「だから希望と実態が乖離しないように内外(うちそと)を成る丈合わせよう」
と思う様になりました。
どういう事かと申しますと
「良いときはイイと言い、悪いときは悪いと言う。要するにありの儘を素直に公言した方が余計な負荷や内外(うちそと)の辻褄合わせに奔走する必要もなくなるのでリカバリー(回復)の確率や速度が上がる」
という事です。
先般の記事でも申しましたが
「世の中何が起こるか分らない。一寸先は闇、が常態」
であるならば、
「分っている今だけでも「濃い時間」を過ごしたい。その為には、人目や結果が当たり障りのない様辻褄合わせにばかり時間を割いて、大切な時間を無駄にし、結果、生活を中身の薄い、水っぽいものにしない様、生活態度を変える事が何よりも先決。まずは内外(うちそと)を合せ、成る丈正直に事実を言う。その結果被る損は止むなし」
そう思ったのは今から16年前のうつ病が底を打った日の事でした。
認めるべき最初の事実は「自分はたいした人間ではない」事
訊かれたら、笑って明るく正直素直に「わてに、上等は無理ですわ」
それが内外(うちそと)合せの初仕事でした。

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