うとQ世話し 3.11の事「続 弊社「苔、下草的地味経営」
2021/3/11
(うとQ世話し 3.11の事「続 弊社「苔、下草的地味経営」」
今を去ること十数年前、2008年から2009年にかけてのリーマンショックから2011年3月11日に起きた東日本大震災に続く3年間程の出来事が自分の人生観、世界観を大きく変えてしまいました。
ひとつは
「安全、安心、平和が常態などではなく、危険、危機、争い(何も鉄砲を打つことだけが戦争ではない。争いは何時でも何処にでもある)こそが、常態である。天災人災こそが常態」
という180度の認識転換と
いまひとつは
「如何にじぶんが選ばれる人間になるか、ではなく選ぶのは自分である」
というこれまた180度の認識転換でした。
言ってみれば
「不確実だからこそ、自分がしっかりしなくてはならない」
という一種のサバイバル意識に目覚めたとでも申しましょうか。
はじめの項につきましては
「だからこそ平和が有り難いのであり、又それはつかの間のものでしかない。つかの間のものをつかの間としないためには、とても大変で面倒くさい不断の努力がいる」
事が解り、続いて
「危険、危機の中で、それでも安心、安全を得るためには、如何に正しく新鮮な情報を継続的に手に入れるかが生死を分かつ重要なファクターである事を痛感」し時々刻々の情報収集に対する緊張感(観察眼)が格段に変化致しました。
二つ目につきましては
「家族や会社から如何に選ばれる人材になるかばかり考えていた。言い方は悪いが如何に「気に入られるか」だった。自分への殺生与奪の権限は常に相手側にあった。特に会社に対於いては「社員としての商品価値」という事で、気づかぬうちに自分をみずから進んで商品(お金基準の産物)に貶(おとし)めていた。人は商品ではない。人はお金では計れない」
という事で、甲斐国、武田信玄公由来の「武田節」の一節ではありませんが「人は石垣、人は城」言うことで、思い切って「人本基幹」の会社を設立する運びとなりました。
それが現在の
「国際間、世代間、たまたまとなりにいる人との交流事業」
の弊社でございます。
あれからほぼ10年、現在はコロナ渦に見舞われております。
聞くところによると歴史の大きな節目は20年を一単位として動いているのだそうです。
だとするとこの激流はあとおよそ10年、つまり2030年頃までは続くことになりそうです。
さて、我々は前半の10年間の知恵(知識+経験)を活かして後半10年間を生き延び、新しい世界(世界観)という次の島まで泳ぎ着くことが出来ますでしょうか?
さてもさてさて、何事もそうですが
「やってみないことには分りません。だからやってみるのでしょう。やってみるだけの価値は十二分にあると思っています」