(うとQ世話し 要再考「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」)

2022/3/5
(うとQ世話し 要再考「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」)
以前の記事で「軍事兵法は正しく認識して使えば色々な面で極めて有用なものになり得るから、まずは食わず嫌いをせずに紐解いてみる必要がある」
と書きました。
その根拠としては軍事兵法が鉄砲や大砲の打ち方を学ぶ殺戮の法ではなくその芯は戦闘回避の非戦の法である事に由来しその認識の改めがまずは必要であろうと。

「軍事兵法の要諦は戦わずして勝つ」事だとも申し上げ、
その次段では
「戦わずして勝つ事の最良は敵(方)を味方につける」事だとも。
是に従えば在外の善良なロシア人を無暗に誹謗中傷しいじめるのは最大の愚策である事に気づかされます。
何故なら意外に思われるかもしれませんが現在「蛮行」を繰り返す彼の国の「独裁者」を止められるのは自国民であるロシア国民だけだからです。
蛮行を止められるのは諸外国でもなく侵攻されたウクライナでもなく偏に自国民であるロシア国民のみ。
具体的には自国民がこの「独裁者」にNOを突き付ければ此の「独裁者」の侵攻の唯一の根拠である「自国民の支持を得て自国民の為に」という「大義名分」を失わせる事になるからです。
「独善、独断、独裁」を鮮明化できるからです。
それにも拘らず諸外国内で暮らす善良なロシア国民を虐めれば本国内のロシア国民の反感を買い、逆に「矢張り我々の国家元首が言っている事の方に理がありそうだ」と「独裁、独断専行」による侵攻を正当化する事になり、更に進んで「独裁の後押し利する」事にも成り兼ねないからです。
「坊主にくけりゃ袈裟まで憎い」は「過ぎたるは及ばざる」が如き愚策。
更に進めば「人を呪わば穴二つ」にも。
なので、罪なき海外在住のロシア人を、只ロシア人だというだけで無暗矢鱈といじめるのは敵を味方につける上での「最大の愚策、愚行」だと申し上げた訳です。
そして前回「敵を味方につける」方法としては「外交」だと申し上げもしましたが、
「結局各国の為政者同士による外交は無力だったではないか」とおっしゃる方もおられるかもしれませんが、何も外交は為政者間同士の専売特許でも何でもなく、法より更に自由で且つ重みのある「道義」に基づき、それを原動力とした「民間外交」という手段もある訳です。
思うにその「民間外交(手助け、声上げ)に基づく人心の圧力」こそ、今回最有効手段として効力を発揮しつつある様にも見られます。
Swiftを初めそれらの諸措置を発動させたのもこの「道義に基づく憤りによる民間の力」だった様に思われます。
その力を最大に限引き出す為にも「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」に等しい行為は厳に慎む。
今我々の為すべきは自国内で自らの指導者の行為を恥じている人々の後押しに集中し、其を妨げる「善良なる在外同国人を虐める」等の要素を極力減らす努力。
迂遠な方法かもしれませんがそれが遠方に居てウクライナをサポートできる我々の重要且つ有効な手段ではないでしょうか。

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うとQ
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