うとQ世話し 一体我々は何処に向かって歩いているのでしょうか?
2020/12/5
(うとQ世話し 一体我々は何処に向かって歩いているのでしょうか?)
昔、バス(というか、その頃のじいさんばあさんは、確か乗合自動車と言っていたような記憶があります)と言えば運転手さんと車掌さんが乗っておりました。はじめの頃は女の車掌さん、途中からは男の車掌さんに切り替わりました。
そのあと、突然ワンマンカーになりました。車掌さんがいないバスが出てきたのです。バスの形もフロントボンネットタイプから、フロントボンネットレス(がない)タイプに大変更。
そうして今度は、車掌さんはおろか運転手さんもいない無人バスが取りざたされております。
そういえば他にも「無人駅」とか「無人店舗」とか、要するにどんどんオペレーションする人がいなくなっていく訳です。サービスや商品を売る側(提供する側)の人間が減って、サービスや商品を買う側(受ける側)の人間だけになって行く。
で、何度も以前から申し上げておりますように「生産者(サービス、商品の提供者)は同時に消費者(サービス、商品の購入者、使用者、受益者)である」事を思い浮かべると、これは完全なアンバランスとしか言いようがありません。
極言すれば「お金が入ってこないのに、ドンドン買いなさい」と言っているようなものだからです。
一方、技術格差(技術を持てる者と持たない者の格差)唯唯が最近言われるようになりました。
これは一部の技術を持った者(しかも無形資産側で、余り雇用を生み出さない層)にだけ富が集中し、技術を持たないもの(特に有形資産側の雇用人側)はどんどん収入が減り、雇用そのものも危機に瀕するようなアンバランスも生まれております。
これらを自分なりの言葉で「大幅に端折って」申し上げますと
技術を持った者の「分析、解析、分解、ピンポイント狙い」が持たない者の「統合、組立、稼働、ブロード(緩やかな波)」を侵食し、蒸発させているように見えます。
もっと言えば「頭がよくなりすぎて、身体が付いて行っていない」
更には
「頭がよくなりすぎて(分析脳)重箱の隅をつつくようなことばかりに目が行き過ぎ、身体全体を使って大らかに動き回るような寛容、寛大、受容力が減っている」ともいえます。
社会がどんどん頭でっかちになり、しかも人間の仕事面での活動の場(身体を動かす場)がどんどん減っている。
一体我々は、どこに向かって歩いているのでしょう?
何となく、うすら寒く、そら恐ろしい気がしております。