うとQ世話し 何故、かくも臆病であるのか?
2021/3/19
(うとQ世話し 何故、かくも臆病であるのか?)
我が国の、我々はなぜ、かくも臆病であるのか?
対応の仕方が分らないからかもしれません。
では、何故対応の仕方が分らないのか?
経験歴が殆ど無く、そのせいで、自分が持っている対応能力や対応手段の幅が物凄く狭いか少ないからの様な気がします。
では何故経験歴や経験数が少ないのでしょうか?
失敗が許されない風土があるからかもしれません。その為、手も足も出ず、経験数が極端に少なくなるの。
その経験不足から、対応手段として持っているそれ以外の物が来たらどうしようもないことが、薄々分っている為に、そこから逃げざるを得ないからでしょう。
何故逃げざるを得ないのでしょう?
勿論危害に遭いたくない事もそうですが、遭わなかったとしても「恥だけは、掻きたくないから」です。特に「利害関係のある人前」に於いては。
そうしてこの「利害関係のある人」というのが、今度は対応能力の幅の狭さに反比例、又は逆比例して「とても多い」気がします。
喩えて言えば「通りすがりの人まで含めた全国民、一人の例外や取りこぼしもなく全員」位多いのです。
だから、浮き足だって腰が落ち着かず、鼻から「逃げ腰逃走モード」詰まり「追跡捕縛恐怖モード」になるので、四六時中(しょっちゅう)おどおどしてしまう。
そうして、ここからが厄介なのですが、それを見透かされない為に今度は「虚勢を張って居丈高」になったり「格好を付けて、すかして」みたり「大人(たいじん)ぶって不動を装って」見たりするので、我ながら益々訳が分らなくなってしまいます。
この「虚勢」「格好付け」「不動を装う」処が導き出す同一の行為として、最も顕著なのが「見て見ぬ振り」逆を言えば「こっそり盗み見」でしょうか。
なので、交流が生まれず、皆が皆孤立無援の疎外感地獄を歩くに事になってしまう。
お互いがお互いを「存在消去し合い」お互いがお互いを「スパイし合う」様な事が時々刻々と繰り返され、攻撃と防御で息つく暇も無く疲弊する事を避けたいからかもしれません。
では「之に対する対処法、特効薬はないの?」と問われれば、こういうしかないと思っています。
曰く
「一度で良いから失敗して満座の中で大恥を掻いてみましょう。初めは苦しいでしょうが、それを繰り返す内、次第に馴れてきて、そのうち何でも無くなりますから。兎に角まずは一度失敗して恥を掻いてみてはどうでしょう。これでいっそ、可成すっきりして格段に落ち着くと思いますが」
と。
何の事はない
「経験の幅の狭さと数の少なさからくる対応能力の幅の狭さと手段の持ち駒不足」
の由来は
「失敗と大恥を掻く経験数の少なさ由来」
以外の何ものでもない様な気がしておりますので、上述の様な言となった次第でございます。
ですので、まずは一歩踏み出す
「勇気」
換言すれば、一種の
「開き直り」
が必要なのではないかと思っておりますが、
皆様方は、如何思われますでしょうか。