うとQ世話し 基本中の「基」
2021/4/24
(うとQ世話し 基本中の「基」)
モバイルパソコン。
これで、評価されるのは薄さ、軽さ、CPUの速度やバッテリーの持ち時間等々ですが、それら売り文句には全く遡上しない点に足を掬われました。
キーボードとタッチパッド。
文字、動作指示入力系です。
まずキーボードに文字を打込んでも文字が画面上に現れるのに2秒程掛る様なりました。
タッチパッドの方は、コピペの為の文章範囲選択が思う様に拾えなかったり、選択した後マウスの右クリック動作をしてコピーしようとすると、コピーしたい選択範囲そのものが解除されてしまったりしました。
しかも毎回動作加圧のレベルが変わっている様で、ある時は強く押し込まないとダメ、ある時は強く押し込むと、押し込んだ分の時間が、命令実行、解除、又実行とリッサイクリック指示にカウントされているのか、タイミングを間違えると「意図した動作(意思)」とは正反対の結果しか出てこないという状態で四苦八苦しました。
それで思ったのですが、普段出来て当たり前、あって当たり前の、気にも留めていない物が動かなかったり、無かったりした場合、何が起こるのか?どうすれば良いのか?
それを常に想定するのが「危機管理」なのではないか、な?と。
今回の場合はPCでしたが、例えばあって当たり前で、普段気にも留めていない空気や水や電気が無くなったり、入手困難になったりしたらどうするか?という事です。
これは風水害や地震の場合に既にあった事です。
いざとなれば買い貯めた冷凍食品をチンすればいい、と思っていて、電気が来ずに冷蔵庫は温蔵庫になってしまっていたとか、チンするレンジも電気が来ずに只の箱になってしまっていた。水も来ず、トイレも風呂も、鍋と薪でご飯も炊けなかった、とか。
なので、今の我々の生活は一体何を前提に成り立っているのか?今一度それを考え、それが入手困難になった場合の行動計画、代替品調達計画を立てておくのが「危機管理」ではないのかな、とも。
要するに大切なのは目を引く上物の優劣や数ではなく、基底部に在る基本の「基」の字の部分。
今コロナ渦で言えば意外に思われるかもしれませんが「コミュニケーション」
遠隔、対面回避、社会的距離の確保による「コミュニケーションの疎遠化、希薄化」
或いは又、と申しますか、そもそもが、と申しますか、コロナとは取引する事も、説得する事も、勿論会話する事すら出来ません。
「意思疎通手段」や「意思疎通ルート」が全くない「コミュニケーションレス」な相手だからです。
今コロナで図らずも思い知らされたのは「相手とのコミュニケーション(意思疎通)の有無」と、上述由来の「ストレスの有無」でした。
それが基本中の「基」の字でした。
(追記)
代替品不具合も含め大変でしたが、修理後のこのPCは「ストレス・レス」で快適です。
そして本日、コロナ渦で帰国できぬまま、師匠のネパールボスの母上が遠い本国で他界されました。
祈、冥福。