(うとQ世話し 恥と外聞)
2022/3/6-2
(うとQ世話し 恥と外聞)
前回の記事(拙著「続 うつ病ドロンパッ読本」内 後日刊行予定)で
「恥も外聞もありゃしねぇ」
と開き直った途端、背負っていた重荷が飛散霧消したというお話を申し上げました。
今回は、その因果関係と申しますか構造と申しますか、よくわかりませんがそのあたりを今少し紐解いてみたいと思います。
まず「恥」ですが、恥の反対語を考えてみますと「名誉」という言葉が思い浮かびました。
「恥」の反対は「名誉」
だとすれば
「恥とは名誉に届かない状態」
「名誉を手に入れたくても手に入れられない状態」
とも言えそうです。
要するに
「未達を恥ずかしいと感じる状態」
です。
因みにここで申し上げている「名誉」とは何も勲章とか表彰とかではなく、もっと一般的に「人気を得る事」であるとか「期待に応える事」であるとか「人から憧れられる、一目置かれる」などを意味しております。
さて、余談はさておき
同じ様に「外聞」
これをまず「外見」と言い換えた上でその反対語を思い浮かべてみますと
「内心」
という言葉が浮かび上がってきました。
是又要するに
「内と外」
の対比です。
対比という以上、それは内と外が
「違っている」「合っていない」
事が前提になります。
つまり「差がある」訳です。
以上のことを踏まえて再度「恥と外聞」をスルーして考えてみますと
「名誉に届かないみっともない状態を外見だけ繕う状態」
その時に起きる
見せかけから生じる
「虚しさ」「気疲れ」
いつ見破られるかわからない不安定な落ち着きのなさから生まれる
「不安」「恐怖」
内と外が違っているにも拘わらず無理に整合性を取ろうと刻一刻内外を行ったり来たりする調整作業に追われることからくる
「疲労困憊」
以上が嫌さに相手となるたけ接しない様にする
「浮足立ち」「気もそぞろ」「心、其処になし」「常に半身構え」「逃げ腰」「回避と逃避」
是の総合集積値が
「重荷の正体とそのレベル」
ではないかなと。
そもそも全ての起因となっている「名誉」というものは
長い努力に対して人さまが
自然と「評価し授けるもの」即ち自分の行いの後からある日突然
「トントン、こんにちは、とやってくるもの」であって
常日頃からとっ捕まえてやろうと意識して「追いかけまわす類のもの」ではない様な気がします。
第一「名誉」は前を歩いていないのですから。後ろからくるのですから。
そこを間違えてしまいますと「あり得ない事象を追いかける事」になりますので、それこそ「永遠に未達」
「暖簾に腕押し」「徒手空拳」「二十日鼠の空回り」「シーシュポスの神話」
等にみられる「無限徒労行為」にしかなりません。
将に
「亡霊に恋する様なもの」でしょう。
そこに気づいて追いかけるのをやめた時、
具体的には
「自分は名誉に値する様な人間ではない。只の市井人に過ぎなかった。それでいいではないか」
そう思った時、「恥と外聞の亡霊」という憑き物が「ストン」と落ちた気がします。
今思い返してみると。
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