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「もやもやした言語化できない部分を眺めていたい」漫画家・郷本先生の世界観に迫る!【インタビュー企画 #8】

取材:shin、wisteria
構成:とむはま、shin、wisteria

漫画家・郷本。2018年、『ねこだまり』『夜と海』の2作品でデビュー。『夜と海』では主人公たちの繊細な関係性を緻密に描き切り、多くの百合漫画ファンの支持を集めた。現在連載中の『破滅の恋人』では中学生の主人公ありすと謎多き「お姉さん」の不思議な関係を独特の演出で描く。

東京大学百合愛好会は「百合漫画スローリーディング」を定期的に開催しており、そこでは会員同士が感想や解釈を交換しながら1ページずつ時間をかけて漫画作品を読み進めている。今年度は、郷本作品が描く思春期の微妙な感情と関係性に着目し、その題材に『夜と海』を選んだ。

今回、そんな郷本先生へのインタビューが実現した。創作へのこだわりやそれを支えるさまざまな経験、そして郷本作品に通底するユニークな世界観に迫る。


漫画にしかできないことをやりたい

―― まずは先生の代表作である『夜と海』、そして『破滅の恋人』についてお伺いしていきます。どちらの作品も、思春期の少女たちの微妙な感情をありのままに描かれていますが、その際に何か意識されていることはありますか?

郷本 そうですね……漫画という媒体だと、言葉を使わなくても情報を伝えられると思っています。大人になっちゃった自分からしたら追体験もできないし、理解するのも難しいものだと思いますけど、そういったわかりづらい部分は、できるだけ言語よりも絵を使ったほうが伝わりやすいのかな、というところは意識しています。

―― 先生の作品を読んでいると、漫画という媒体のポテンシャルを感じます。

郷本 ありがとうございます(笑)。漫画という媒体を使って何かを伝える機会をいただいてるので、せっかくなら漫画にしかできないことをやりたいなと思っています。よくゲームのステータスで六角形のパラメータを表すグラフがありますけど、漫画ってあのイメージなんですよ。「絵の力」があって、「文章の力」があって、みたいな……。その全てをうまく活用できたらいいなと思っています。私自身はだいぶとんがったグラフをしてそうなイメージがあるんですが......。『夜と海』は漫画の右も左もわからない状態で描いてましたね。

―― そうだったんですか!? そうだとはとても思えませんでしたが……。

郷本 元々アシスタントをしてたわけでもなく、漫画の描き方を勉強してたわけでもないので、自由にやらせていただいたんですよね。編集さんもあんまり「もっとこうしたほうが良いよ」とかではなくて、「これで良いと思うよ」って言ってくれるタイプの人でした。

――  なるほど。確かに先生の作品には「漫画らしさ」とは少し違う、絵画や映画のワンシーンのような雰囲気を感じることがあります。

郷本 自分がインプットしているものが漫画よりも映画とかだったりするので、そういうところもあるかもしれないですね。

―― 『夜と海』1巻23ページでは、「ひだり利き」という一言のセリフで、他人に興味が向く瞬間が表現されます。先生の作品ではセリフが生の会話に近く、言葉の「質感」のようなものが感じられます。言葉を選ぶ際になにか意識されていることはありますか?

郷本 できるだけ絵で説明できている部分には触れないように、というところは意識しています。例えばこのシーンだと、「興味がわいたぞ」っていうのは絵で説明できていることなので、「今ここに気づいたよ」みたいなセリフだけでいいかな、というように、結構セリフを削りがちなところはあって...…それで編集さんに「もうちょっと書いてください」って言われたことはあったかもしれません(笑)。たぶん今の流行と逆行しているところはあるんですけど、そういうのが自分は好きだなって思うところはあります。

『夜と海』1巻23ページ

―― スローリーディングで扱う作品を決めるとき、『夜と海』を激推ししている会員がいたのですが、実際に読んでみて「ゆっくり読む価値があるとはこういうことなのか......」と感嘆しました。

郷本 ありがとうございます。じっくり読むのが楽しい漫画と、パっと読むのが楽しい漫画ってありますよね。

―― じっくり読めば読むほど気づく部分があって、それがすごく楽しかったです。今回のインタビューの目的として、作品に対する先生の想いをお聞きするというのもあったのですが、もう1つ、スローリーディングで出た感想や解釈を先生に直接伝えてみたい、というのもありました。

郷本 いやぁすごいうれしいなぁって……本当に読んでくれてるんだって思って、ありがたいというかうれしいです。直接読者の方に触れる機会って全然ないので……。コミティアとかに行くと読んでますって言ってくださる方はたまにいるんですけど、話すっていう感じにはあまりならないので、ちょっと今回、新鮮だなって(笑)。

―― 愛好会でスローリーディングを行った際には、『夜と海』の第1巻18ページの表現の絶妙さが話題に上がりました。

郷本 へぇ~、どういうところがよかったですか?

―― 月子は海外からの高嶺の花の転校生で、浮世離れしたキャラとして描かれてもおかしくないような流れだったところで、学校の外に出て、平凡な商店街を歩く場面が挟まりますよね。

郷本 そうですね。

―― 普通の街中を歩いていて、本屋で興味のある雑誌を手に取るけど、値段を見て棚に戻す。この一連の描写にすごく人間味を感じました。月子が等身大の高校生であるということを読者が了解するシーンだと思います。

郷本 ありがとうございます(笑)。この辺は「日常的なシーンを描きたい」っていうざっくりした意図があったような記憶があります。

―― なるほど……。この後ベッドに入って「何をこんなに気にしているのかしら」というシーンにつながっていきますね。

郷本 そうですね。多分ここの「何をそんなに気にしているのかしら」の場面で現実離れしたシーンを描かなきゃいけないので、それと対比するとこの直前に日常的なシーンがあったほうが、唐突な感じにならずに済むかなと思って、帰り道のシーンを挟んだのかなと思います。描いたのがだいぶ前なので、少し懐かしいです(笑)。

『夜と海』1巻18ページ

―― 月子は最終的に学者になる道を選びました。何を研究しているのでしょうか?

郷本 海洋生物の研究かなっていうざっくりしたイメージはあります。その研究する上で、生態写真とかを撮るのは自分ではできないことなのでカメラマンを雇って、みたいなことを想像しています。

―― ラストシーンの、「興味ない」という月子のセリフが印象的でした。あの瞬間だけ2人が制服に戻って、あの時の感覚がよみがえってくる。「私たちの在り方はこうだ」というのが伝わってきます。

郷本 最終話のネームを切るときに最初に思いついたのがあのコマで、あそこにたどり着くようにしようと考えていました。

漫画家になった経緯

―― 漫画家になられたのは、編集さんからお声がかかったのがきっかけだったのですね。

郷本 そうですね。あんまり覚えてないんですけど、たぶんコミティアに出した同人誌か何かを見ていただいて、芳文社の編集さんからお声をかけていただきました。最初は猫の漫画を描かないかっていうお話から始まっていて。

―― 『ねこだまり』ですね。

郷本 それで、何が起きたのか忘れたんですけど、同時に2作描くことになって(笑)。

―― それ以前は主にイラストを描かれていたのですか?

郷本 そうですね。漫画の描き方に関してはざっくりした知識だけはあって、趣味で少し描いたりしたことがあるくらいでした。ただ、編集さんとかに見てもらったことはなかったですね。なので、『夜と海』の最初のほうとかは、相当拙いなあと思いながら(笑)。

―― そうですか!?(インタビュアーふたりハモる)

郷本 そんなハモるほど...…(笑)。

―― 1巻の第1話からみんなで「すごいなあ...…」と言いながらスローリーディングをやっていましたので...…。

郷本 そこは撮って出しというか、そういうところを活かそうとしてくれた編集さんがすごかったんだと思ってます。そこを無くしちゃう編集さんもいっぱいいると思うので、良い人にあたったなあと思います。

『破滅の恋人』における表現の工夫

――  『破滅の恋人』に話題を移すと、この作品ではマニキュアやタバコなど「匂い」が1つのキーになっています。

郷本  匂いって記憶に残るかな、と。ありすを描くときに、感覚的な部分を描いていった方が年相応っぽいのかなと思っていて……。ありすはまだ引き出しは少ないはずなんですよ。なので、例えば絵画を見たときに、「この絵画を描いた人はこういう人だから」っていう前提知識のある状態ではなくて、「この絵ってきれいだな」っていうところでとどめておく。こういうところは気を付けています。

――  なるほど……。知識以前の感覚の部分ですね。

郷本  知識がなくても感じられる部分は大事にしたいと思いつつ、自分がもう大人になっちゃってるので、できてるのかなぁと思うところもあります。

――  漫画だからこそ、なるべく言葉だけに頼らずに表現する、という部分とも繋がってくるお話ですね。

郷本  そうですね。そういう意味では、小説とかよりも漫画の方がそういう子供っぽいところとかは描きやすいのかな、と思います。大人になる過程で「こういう時期あったな」みたいなのが表現できてるといいなと思っています。

『破滅の恋人』1巻120ページ

―― 丸いコマ割りや枠を使った表現など、デザインへのこだわりも感じられます。

郷本 漫画家になる前は映像のデザインのお仕事をしていました。『夜と海』も『破滅の恋人』も、結構文字の置くところとか、こう読んでほしいな、みたいな視線誘導をしたいっていうのはありました。

―― 1ページ1ページ、全体としてのデザインを考えられているということでしょうか?

郷本 そうですね。各ページ、絵として見られるものになってるといいなと。ただ、デザイン的にあんまり背景が必要なかったら描かないタイプなので、「ずいぶんと背景がないなぁ」みたいなところがあるかもしれません(笑)。特にありすは、視野がばっと広がっているというよりは、お姉さんと話しているときはお姉さんのところにぎゅっとフォーカスするタイプだと思うので、できるだけ広く描かないように、といったことを意識してますね。

―― 登場人物の視野に即した描き方ということですね。

郷本 そうですね。結果として説明すべきところを省いていたりするので、漫画としてこれでいいのかっていう画面になっちゃった気がするんですけど(笑)。

『破滅の恋人』2巻146ページ

―― 装丁について、『破滅の恋人』の表紙では煙のところがニス盛りにされています。「表紙はこうしてください」というようなやりとりをすることはあるのですか?

郷本 今回の場合はニスを盛ったりのような特殊なことをやろうと思えばできますよ、と聞いて、「なんかやりたいですね」みたいなやりとりをしていました。それで、このデザインのラフをお送りしたときに、「煙のところはニス盛りにしよう」とデザイナーさんのほうで考えていただいて、こういう形にしてくれました。

―― 私はほとんど電子書籍で買うのですが、特別に好きな作品だけは紙で買っています。これは紙で買ってよかった! と思いました。

郷本 ありがとうございます(笑)。個人的に紙のほうが好きなので、そういうところはこだわりたいと思っています。

タイトルと煙がニス盛りにされ質感の高い装丁となっている/郷本先生X(旧・Twitter)より

郷本先生と「百合」

―― 先生は作品を描くうえで、「百合を描こう」と意識されているわけではないと認識しています。

郷本 そうですね、『夜と海』も『破滅の恋人』も、出版社側から「百合ですよ」と売り出したことは一度もなくて、書店さんとかで「これって百合だな」っていう風にカテゴライズしてもらう、というのが理想的ですね。百合を題材としている作品ではないっていう意味では、百合好きの皆さんに受け入れられている部分が少しでもあるならうれしいなと思います。

―― 作品の楽しみ方は人それぞれだと思いますが、東大百合愛好会には人間関係のもやっとした部分を見るのが好きな人が多くいます。そのようなファンにとって『夜と海』や『破滅の恋人』は見逃せない作品だと思います。

郷本 「広義の百合」って感じですね。そういうもやもやした言語化できない部分を箱に詰めて、眺めるのが楽しいんですよね。

―― 「百合としては売り出していない」とのことですが、反対に、先生がご覧になって「これは百合だ」と思った作品はありますか?

郷本 百合というものを認識した瞬間でいうと、セーラームーンのウラヌスとネプチューンを見た時だと思います。ふたりの関係ははっきり「恋愛」とか「パートナー」とかそういうものではなくて、「魂の部分で『なんかなってる』」みたいな感じだったと思います。この形で最初に百合を浴びてしまったので、それを親だと思って付いていっているみたいなところはあるかもしれません(笑)。すごく重い感情がお互いにあって、それが合致することもあればすれ違うこともあって、それを描くだけで物語として成立するみたいなところがあると思うんです。

―― 百合との出会い方は人それぞれですが、自然に親しんでいたものに、後から「百合」という名前があることを知る、というようなパターンも多いと思います。

郷本 自分もセーラームーン見てるときは「このふたりはこういう感じの感情を持ってるんだ」という風にすっと受け入れていたものを、しばらく経って「それって百合なのでは?」みたいな感じでした(笑)。

―― わかります(笑)。私もそうだったので、自分の中での自分の百合像の輪郭があまりはっきりしていません。

郷本 あいまいなものはあいまいなものとして楽しみたいなと思いますね。

影響を受けた作品

――  他に、先生が影響を受けた作品はありますか?

郷本 漫画だと『ぼのぼの』がとても好きです。初めて漫画というものを漫画として認識してちゃんと読んだ作品だったので、『ぼのぼの』はとても印象深いです。

―― 『ぼのぼの』が漫画との出会いだったのですね。いわゆるサブカルの漫画には、あまり触れてこられなかったのですか?

郷本 そうですね...…あまり家に本がない家だったので、あまり身近じゃなかったというか。小学生のときに図書室に行って「好きな漫画読んでいいよ」って言われたときも、漫画とかよりも『シートン動物記』とか、歴史上の人物の漫画とか、そういうのを読んじゃうタイプでした。

―― 映画もお好きなようですが、影響を受けた映画などはありますか?

郷本 映画で言うと『ミスト』がすごい好きです。ご覧になる機会があるかもしれないのでネタバレしたくないんですけど、『夜と海』は『ミスト』の影響を受けてるかもしれないです。「これがこうなっていったら、最後はこうなるじゃん」みたいな、最終的に結論として出てくるものがそれまでの流れから曲がってない。そういうところが好きかもしれない。
あとは『マイ・サマー・オブ・ラブ』という映画があって、それが百合として自分の中でちょうどよかったです。ちょっとすれた女の子と、純真だけどちょっと家庭環境に問題がある女の子が、仲良くなるのかな?...…みたいな。それがひと夏の思い出で、「有限なもの」っていうところが私は個人的に好きです。刹那的な部分とか、そういうところはすごくお気に入りで、真似したいと思うところがありますね。

―― ここまで、影響を受けた漫画や映画についてお伺いしてきました。ゲームに関しては何かありますか?

郷本 自分は……思春期の一番多感な時期に、『テイルズ オブ ジ アビス』っていうゲームをプレイして、「こういう表現方法もあるんだ」と思いました。結構残酷なお話というか、パーティーのメンツが結構ギスギスしてるじゃないですか。

―― 私もプレイしたことがありますが、確かにギスギスしていますね(笑)。

郷本 「これでいいんだ」と思って。それまではコロコロコミックとか、ジャンプとか、ちゃおとかを読んで「感情のふれあい」みたいなものに親しんでいた身としては、「これでいいんだ!」っていう気付きを得たというか。

―― 棘があるうえでもなお成り立つ関係が描かれていますね。

郷本 そうですね。それでこの時に、「仲良くなくても仲間でいていい」みたいなことを学んだかもしれないです。

―― テイルズシリーズの他作品はプレイされてますか?

郷本 『アビス』と、『シンフォニア』と...…『ファンタジア』は途中で詰んだんですけど(笑)。『ヴェスペリア』は割と記憶に新しいかも。

―― 『ヴェスペリア』にはエステルとリタの、百合的な関係性がありますね。

郷本 『ヴェスペリア』も結構百合として深く認識した作品だったかもしれないです。孤独な少女と天真爛漫な無垢な子と...…みたいな。そのふたりに限らないですけど、この作品も分かり合えないものとして最終的に完成する感じがします。「この王女様、なんかよくわかんないけどいいやつなんだな」みたいな感じで、そういうところは思い出深いです。

テイルズ オブ ジ アビス(Amazon商品ぺージより)
ストーリー中盤、主人公はとある言動をきっかけに仲間から冷たい態度をとられるようになる

郷本 あとはずっとポケモンをやってます。ちゃんとバトルをやっていて...…。ここで「漫画のステータスって六角形だよね」みたいな話とつながるっていう(笑)。自分の漫画はここが苦手だから、ここを伸ばすよりもこっちを伸ばしたほうがいい、みたいなところは影響あるような気がします。

―― 分析ツールになってますね。

郷本 ポケモンは人生の指標になりました(笑)。

―― ちなみにどのポケモンがお好きですか?

郷本 フシギソウが好きです。あの未熟な感じがいいですね。進化の中間なのであんまりグッズにならないのが悲しいんですけど...…(笑)。

ポケモンのステータスグラフ(ポケットモンスター ソード・シールドHPより)

作中のモチーフについて

―― 続いて、作中のモチーフについてお伺いしていきます。『夜と海』では海洋生物が様々なシーンで登場していますが、海洋生物にはもともとご興味をお持ちだったのでしょうか。

郷本 『夜と海』はちょうど深海魚とかに興味がある時期だったので、なんとなくうまく絡めていきたいなというのがあったりして...…。

―― 『夜と海』の連載が始まったのが2018年。2013年にNHKスペシャルでダイオウイカが話題になり、その後数年間は深海魚ブームのような時期がありました。

郷本  ちょっとした流行りみたいなのがあったかも。深海魚に特化している水族館がちょっと話題になったりとか、そういう時期だったかもしれないです。

―― 沼津港深海水族館ですね。

郷本 そうそう。あそこはいいところ。それで、モチーフとして最初にちょっと出すくらいのつもりだったんですけど、結局最後の方までメインのモチーフとして使うことになりました。

―― 昔からずっと深海魚に興味があったというよりは、モチーフとしてちょっと使おうか、という感じだったのですね。

郷本 たぶん自分の中の流行りとして海洋生物があったんだと思います。図鑑を見るのが好きだったので、もともと好きだったと言ってもおかしくはないかもしれないですね。全部ではないんですけど、「この場面の魚はこれにしたい」みたいなのはたまにあって、月子がピリピリしている場面とかではサメとかちょっと大きめの魚を出したり、みたいなことを考えてたような気がします。

『夜と海』2巻94,95ページ

―― 一方、『破滅の恋人』ではピアノや音楽の細やかな描写があります。「レッスン前に指をほぐさなきゃ」という描写はピアノをやったことがある人でないとなかなか思いつかないものだと思いますが、楽器のご経験はあるのでしょうか?

郷本 そうですね。子供の頃にピアノというか、エレクトーンをやっていました。自分はあんまりうまくなかったんですよ(笑)。手もそんなに大きくないので、手を大きく広げないと弾けないタイプでした。

―― そのご経験が活きているのですね。音楽や絵画など色々な知識が出てくるので、博識な方という印象を持っていました。

郷本 いえいえ(笑)。全然、かじった程度で...…。

―― ありすが調べていた「エリーゼ 誰」というのを調べてみましたが、色々な説があるようですね。

郷本 そういう細かいところ気にしちゃうところはぼのぼのっぽいかもしれないですね。ぼのぼのが、「これはこうしたらこうなっちゃうんじゃないか、どうしよう」ってなってるようなところに、自分の作品も影響を受けているかもしれないです。

『破滅の恋人』1巻133ページ

「他人」を描くことについて

―― 主人公以外のキャラクターが掘り下げられる回には、「脇役」だったキャラクターが1人の人間として浮かび上がってくる、という魅力があると思います。『夜と海』では東雲や舞原、『破滅の恋人』ではまりあのエピソードが印象的ですが、主人公以外のキャラクターを描く際に気を配っていることはありますか?

郷本 主人公たちとの対比とか、主人公たちの関係を読み解くのに必要なものの一部になったらいいなと思っています。例えば舞原と東雲は、月子と彩とは対極で、どちらかというとお互いに興味があってぶつかっていくタイプだと思うんですよね。そういう子たちもいる一方、主人公たちはそうじゃない。こういうところを強調する働きをしてくれたらいいなと思っています。

―― 『夜と海』では、自分にとっては何を考えているかわからない他人の、ままならなさのようなものがテーマになっていると思います。「ままならない他人」という存在を描くうえで気にかけてることはありますか?

郷本 そうですね……自分自身が割とこう、他人に興味がないので、そのラインを崩さないほうがそれっぽいのかな、というのは思っています。「他人は他人、自分は自分」というのをしっかり持ったまま、そんなに他人の変化に期待しすぎない、みたいなところは落とし込めたらいいなと。あと私、猫が好きで、猫との向き合い方ともちょっと似てるかもしれないですね。猫って絶対変わらないので、その感覚みたいなのは生きてるかもしれないです。

『夜と海』2巻102,103ページ

――  『夜と海』の終盤では、月子と彩は自分の考え方をあまり修正することはせず、それでも成り立つ関係を2人で築いていきました。自分の譲れない部分がある一方、他者と一緒にいるためには自分を変えなければいけないというジレンマが描かれていると思います。

郷本 そうですね……。『夜と海』を書くにあたって、編集さんと会ってアドバイスをいただいたり、いろんな話をする機会もあったんですけど、わりと「物語が成立するためには変化を描かなきゃいけない」みたいな、そういう風潮があると思うんです。

―― 確かに、物語には主人公の成長がつきものです。

郷本  それはその通りだなとも思うんですけど、当時の私としてちょっと反発したい部分があって、変わらなかったなら変わらなかったという結果を描けば、それは別に物語として成立するんじゃないかな、っていう風に思っていました。彩と月子の、変化があるようでないような、平行線な感じみたいなものを、結果よりも過程を楽しむものとして描きたいというのがあったのかなと思います。結論を出そうとすると、こう、言語化しやすくなっちゃうというか……。

――  なるほど......。『夜と海』の作品の特徴の1つが、まさにおっしゃっていただいた「成長物語ではない」というところだと思います。関係性の経過が丁寧に描かれますが、最終的にそれが何か名前がつくものに昇華されるわけではなく、ただふたりが模索していった過程が描かれていく......。

郷本  たぶん、『夜と海』を読んで「全然わけがわからない」って思う人もいるんだろうなって思います。でもそれはそれでよくって、「どうなるんだろう」っていう気持ちを楽しむ方が大事かなと個人的には思います。

――  『夜と海』3巻95ページの「ー……すべきじゃないわ」のコマが、まさに「変わらない」というところを象徴するシーンだと思います。

郷本  そうですね。「変わるべきじゃないわ」っていう。主人公ふたりとも、思春期として悩むところもあったりするんですけど、性格的なところでは最初から完成されているキャラクターだなと描きながら思っていました。そこは無理に変わる必要もないのかなって思います。あとは、わりと私は関係性オタクみたいなところがあるんですけど、名前のつかない関係みたいなものが好きで、例えば「友達以上恋人未満」のような、曖昧な部分ってもっと大事にしていいんじゃないかなと。

『夜と海』3巻94,95ページ

「物語」に反抗したかった

―― 『夜と海』でも『破滅の恋人』でも、過去のトラウマのような経験が、登場人物の考え方に影響している様子が描かれています。『夜と海』であれば月子の幼少期の体験、『破滅の恋人』であればお姉さんとおじいさんの関係などですが、先生の作品の特色として、過去の経験によって身に着けた性格や考え方を、克服すべきものとして描いていないという点があると思います。

郷本 言われてみると、それを否定するというよりは受け入れるかたちで描きたいなと思っているかもしれない......。この点はあまり意識してなかったかもしれないです。克服するっていうのもよいことだと思うんですけど、否定することになっちゃうじゃないですか。それってけっこう暴力的な描き方だなって思っちゃう部分があって...…。「そういう人もいるんだよ」っていうのを肯定的に描いても別に問題ないのではないか、というようなことを思ったりしてました。優しい世界を描きたいとかではないんですけど、別にそんなにダメなことでもないだろうと思っていたっていう。

『夜と海』1巻110ページ

―― 漫画家の方には色々な描き方をされる方がいらっしゃると思いますが、先生は漫画を描く際、最後までのストーリーの見通しがついてから描き始めているのでしょうか?

郷本 『夜と海』は終わり方を先に決めていたので、その終わりだけ決めて、道中はふにゃふにゃ~とした感じで進めました。『破滅の恋人』も相当行き当たりばったりで描いているので、どちらかというと即興的に描くほうが向いてるのかな、とは思いますね。『破滅の恋人』はそういう風にしたほうが面白いんじゃない? という編集さんからのアドバイスもあったんですが、あんまりカチっと決めて道筋をたどるっていうのは得意じゃないかもしれないです。

―― いわゆる「物語」に抵抗したい、というお話にも通ずるところがありますね。

郷本 リアルタイムで楽しんで読んでる方もいると思うので、そういう人のこと考えると作者もよくわかってないほうが楽しいんじゃないかな、というのもあるかもしれないです。

郷本先生にとって「百合」とは

―― 長時間に渡り、様々な質問にお答えいただきありがとうございました。最後に、恒例の質問で締めたいと思います。郷本先生にとって「百合」とはなんでしょうか?

郷本 正直なところ、「百合」という言葉が何かよく分かっておらず、同性間の繊細な感情を観察する自然発生的な領域みたいなものとして認識している節があって、そのうえで私にとっての百合とは、「公園で見かける野草やキノコみたいなもの」かなと思っています。ふとそこにあって、意識すると目に入る感じとか似てる気がします。

―― なるほど...…。感覚的なものや言語化されないものを大切にされる先生らしいお答えですね。改めて、本日はありがとうございました!

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