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モンティホール問題(百合)

文: ホドウ

人物Aの前に3つの扉がある。1つの扉のみが隣の部屋に通じ、残りの2つは壁に貼り付けてあるだけのハリボテだ。見た目の違いはない。Aは隣の部屋に行きたいが、そのうち1つの扉だけを、選んで開けなければならない。しかし、Aが扉を選択したとき、Aが扉を開ける前に、審判者がAに選ばれずに残っている2つの扉のうち、ハリボテの扉を1つ開いて見せてくれる。そして、Aは、選んでいる扉から、閉じたまま残っている扉に、開ける扉を変更できると告げられる。Aは開ける扉を変更すべきだろうか

 以上の問題は、「モンティホール問題」と呼ばれる有名な問題の形である。果たして、Aは扉を変更すべきだろうか? お分かりの通り、これは数学の、確率の問題である。答えは、より正解の扉を選ぶ確率が高くなる選択をしろ、というものだ。さて、数学的に考えると、これは端的に言って「変更した方が良い」。変更した方が正解を選ぶ確率は高くなるのだ。しかし多くの人はこの解答が直観に反するものであると感じられるようだ。「変更しなくても確率は変わらないじゃあないか。」、とまあこう感じられてしまう。数学的に考えた結果正しい解に直観が反するというのは、すなわち健全な理性と、理性を介さない直観が不整合を起こしているということだ。この問題の面白さはこのように、人間の内に特殊な状態を引き起こすことにあると言えよう。

 一応問題に解説を加えておこう。数学的に求めるのであれば、条件付き確率を公式化したような、「ベイズの定理」というものを用いるのが一般的なようだ。しかし個人的には、一般化し、極限に飛ばすやり方が分かりやすいと思う。 n 個の扉から正解の 1 つを選ぶ場合を考えてみて欲しい。そして、選んだ後に、選ばなかった n-1 個のうち、不正解の n-2 個が除かれたうえで選択をやり直せる、とするのだ。つまり上の問題では、ただこのパターンのうちで n が3であるというだけだ。この n を極限に飛ばす……まあ例えば n が 100000 くらいあったら、扉を変えない理由はないことが“直観”的に理解できるだろう。 100000 くらいの扉から一つ選んだ扉と、その後正解以外の99998 枚を抜いてくれて残ったひとつ、どちらが正解らしいかは明白だ。問題を直観に舞い戻って理解したらば、あえて帰納法等を用いてこれ以上踏み入る必要はない。不思議なことに先ほどまで理性に反抗を試みていた直観が、少し見方を変えてやれば簡単に膝をつくのである。

 このように人の直感——感性はいかにも気まぐれで、信用ならない。アリストテレスは人間が理性の動物であると言ったし、プラトンが詩人の追放を唱えたのは、詩が賢い人間の理性をかき乱し堕落せしめるからである。バウムガルテンは、上位認識たる理性に対して感性を下位認識に位置付けた。いや、結局正解の扉を選び出すことすらも出来ぬ人間の直感などは一切の役に立たぬガラクタではないか。欠陥を抱えた人間を救うものこそ、経験科学である。そして、客観的に整然と事実を整理できる数学こそ、至高の学問ではないか。その不滅の論理の美しいこと。数学こそ愚昧な人間を正しい方へと導く啓蒙の光である。嗚呼、数学万歳。
……

バカヤローーーーーーッ!


 今の話でエサを啄む公園の鳩のようにうなずいていた人は、猛省していただきたい。そんな、数学が最高とか、何というかそういうのは、温かみが足りないではありませんか。まったく貴様らは一体百合から何を学んできたというのだ。女の子同士の感情、その花のように繊細な、あるいは火のように苛烈な想い、それに魅せられてきたのではないのか。彼女たちの心を、つけ麺のグラム数のように測らせて良いはずがないではないか。少なくとも私はそう思います。

 そういうわけだから、今回はそれを貴様らにわからせしたいと思う。具体的にはモンティホール問題などの直観に反するとされる問題を取り上げて、それに百合で以て挑戦する。人の心とかが一番素晴らしく現れる表現方法であるところの「百合」——自明でみんなが知っている素敵な事実——を使って、これらの問題に手を加えていくので、そのうえで、導き出される答えが本当に正解かどうか、自分の胸に問いかけたり両親と話し合ったりして考えて欲しい。

 以下が取り上げる問題である。復習しておこう。

問1.モンティホール問題
人物Aの前に3つの扉がある。1つの扉のみが隣の部屋に通じ、残りの2つは壁に貼り付けてあるだけのハリボテだ。見た目の違いはない。Aは隣の部屋に行きたいが、そのうち1つの扉だけを、選んで開けなければならない。しかし、Aが扉を選択したとき、Aが扉を開ける前に、審判者がAに選ばれずに残っている2つの扉のうち、ハリボテの扉を1つ開いて見せてくれる。そして、Aは、選んでいる扉から、閉じたまま残っている扉に、開ける扉を変更できると告げられる。Aは開ける扉を変更すべきだろうか。

問2.ふたりの子ども問題
スミス氏には子どもがふたりいる。少なくともひとりは男の子である。子どもがふたりとも男の子である確率はいくつだろうか。

問3.3人の囚人問題
監獄に A,B,C の三人の囚人がそれぞれ独房に入れられている。3 人とも処刑が決まっていたが、恩赦が出て、ランダムで選ばれたひとりが処刑を免れるという。しかし囚人は自分が助かるかどうかは教えてもらえない。Aは自分が助かるのか知りたくて、看守にこのように尋ねた。「BとCのどちらが処刑されるか教えてくれ。」 看守は「Cが処刑さ れる。」と教えてくれた。Aは、助かる確率が 1/3 から 1/2 に上昇したことを喜んだ。Aが喜んだのは正しいだろうか。

それでは問題を開始する。教科書参考書はしまっておこう。


問1


 アンバーはペシミストである。彼女は結果をネガティブに捉える節があり、自分のあらゆる選択は間違いであると思い込む節があった。

 彼女にはたったひとり、ジェーンと言う友達がいた。ジェーンはいつもアンバーの手を取って導いてくれた。ジェーンはいつでもアンバーの選択を誉めそやし、後悔を諫めた。アンバーも、彼女がいてくれたので、自分の選択に少しだけ胸を張れるようになっていた。

「アンバー、あんまり間違いだなんて言わないで。結果なんてのは中々わからないものだよ。きっと私が正解に変えてあげる。」

 アンバーはジェーンに密かな想いを抱いていたが、想いを告げる勇気が出ないままついに卒業の日を迎えてしまった。もし告白をする選択が間違いであったら、取り返しがつかないと確信していたからであった。

 卒業から数日間、アンバーの毎日はこの上なく薄暗かった。そしてある日奇妙な夢を見た。夢であって、夢でない夢。 それは、何もない部屋に三つの扉があり、■■がいて、その前にはアンバーが立っている、という夢であった。■■がアンバーに告げるには、扉の一つは過去へ、二つは未来へ繋がっており、アンバーは一つを選んで開け、扉を通って行くことが出来るらしい。

 アンバーは、卒業前に戻ってやり直したいと思い、扉を一つ選んだ。しかし、彼女には、過去に戻っても果たして自分に違う選択をする勇気があるのか、という懸念があった。また、ジェーンの言葉も思い出していた。

「自分を信じなきゃ。後悔なんてしてはいけないわ。少なくとも私がいる限りは、 あなたに後悔なんてさせない。」

 しかし彼女は今いない。 扉を開けるのを躊躇うアンバーに、■■は残った二つの扉のうち、未来へ繋がる扉を開いて、その先を見せた。扉の向こうには、純白のドレスに身を包んだジェーンが ”誰か” ——まるで靄がかかったように見えない誰か——と笑い合っている光景が映っていた。アンバーは胸が少し苦しくなった。

 このとき同時に、もう一つの扉には違う未来があるのでは、とも思われた。しかしアンバーに今更そんなことが出来るだろうか。しかも今、彼女はたったひとりなのだ。もうひとつの扉が同じ未来へ繋がっていたら、どうすれば良いと言うのだ。

 ■■は、今から開ける扉を変えても良いと言った。かつてアンバーが迷ったときは、ジェーンがいつも一緒に考えてくれた。彼女との選択は、どれもが素晴らしく輝いて見えたのに。そういえばひとりの選択は、こんなにも惨めだった。……彼女は何をくれて、今自分には何が残っているのだろう。

 Aは開ける扉を変更すべきだろうか。


解答例

■■は使徒である。アンバーは、開ける扉を変更しなかった。ジェーンはそばにいなくとも、想いは生きているからである。扉は未来へ繋がっていた。アンバーは扉をくぐると、すぐにジェーンに会いにいった。もうひとりでも間違えない。そして未来はふたりと共にある。

■■は悪魔である。アンバーは、開ける扉を変更した。ジェーンがいれば間違えない。扉は過去へ繋がっていた。アンバーはジェーンに告白した。もう二度と、離さない。

アンバーは、開ける扉を変更しなかった。ジェーンの言葉を裏切りたくなかったから。扉は過去へ繋がっていた。でもすぐに告白はしなかった。どうかあの日で待っていて。

アンバーは、開ける扉を変更した。やり直したかったから。扉は未来へ繋がっていた。ジェーンの隣では見知らぬ女の子が笑っていた。そしてアンバーは最後の間違いを犯すためにバケツを蹴った。

アンバーの選択は無意味だ。ドレスのジェーンの隣にいたのはアンバーだったはずだ。惹かれ合う運命は歪められない。


問2

 テルマは好奇心旺盛な少女である。引っ越しを終えたテルマの、新しい隣人たちスミス家は奇妙な一家であった。主人のスミス氏にはふたりの子供がいて、その片方が男の子であることしかわかっていなかった。そして彼には男らしい良くない噂が色々と立っており、それと関係があるのか、その姿を知る者はほとんどいないらしい。実際テルマ自身もスミス氏の子どもの姿を見たことは無かった。

 ある日、テルマの部屋のベランダに紙飛行機の手紙が落ちていた。差出人はスミス氏の子どものひとりであるようだった。L・スミスと名乗る差出人は、テルマと秘密の文通を申し出た。テルマは好奇心をくすぐられ、申し出を受け、返事を向かいのベランダに投げ込んだ。 文通は面白く、テルマはLにすっかり夢中になってしまった。Lの正体が気になって、スミス宅の玄関を一日見ていたこともあるが、やはりスミス氏以外の出入りは確認できなかった。直接会えないか、と手紙で尋ねると、Lは「まだ会えない。」と応えた。Lには、家から出られない事情があるのだろうか。

 またLは、前に別の女の子と文通していたことがあるとも書いた。ただその時のことは、それ以上語ろうとしなかった。どうやら縁が切れているようであった。

 別の日テルマが、公園のベンチに座っていると、見知らぬ少女が声をかけてきた。彼女はテルマがスミス家の隣人であることを知っていた。その不思議な少女はお喋りが巧みであったので、テルマはいつしかLとの文通のことを話していた。テルマが嬉しそうにLの話をすると、少女は悲しそうな、辛そうな顔で言った。

「君はそいつに恋をしているのかい? ……それじゃあやっぱり、スミスのきょうだい はふたりともろくでなしだ。いつまでも。」

 少女は意味深なことを言うと去っていった。

 子どもがふたりとも男の子である確率はいくつだろうか。


解答例

0。Lは公園に似た少女であるから。彼女は、前の文通相手の恋を台無しにした。彼女も女の子であるがゆえに。

0。L は前の文通相手である。彼女は恋心を弄ばれた。悪女 L・スミスに。


問3

 アデルとベネデッタは反政府組織に引き取られたみなしごである。彼女は、組織の掲げる正義のために生きるように育てられた。彼女たちは姉妹のように仲が良かった。ベネデッタは特別組織の正義を信奉しており、アデルと共にそれに殉ずることが全てであった。一方でアデルには、正義が分からなかったが、ベネデッタのことを強く信頼していた。

 ふたりはあるとき政人を殺した。そして死刑囚として捕まり、投獄されることとなった。ベネデッタの提案でふたりが交わした約束は、どちらかだけでも何としても生き残って、正義に殉ずるべしを言うものであった。しかし、アデルは内心では、ふたりで何かを成し遂げて、生き抜いたのであれば共に死んでも良いと思っていた。それでも、ベネデッタとの約束は大切にしなければならないとも思っていた。

 ふたりは監獄では離れ離れになった。アデルの房の隣には、同日に収監されたキャロルと言う女囚がいた。アデルはベネデッタと離れて寂しかったので、キャロルに話かけた。キャロルもまたみなしごで、虐げられる人生を送っていた。そしてひとり、人を殺して生きてきた。

「正義なんて、バカバカしい。やるかやられるかだよ、この世界は。」

 キャロルは殺気だっていたが、しかしアデルの能天気さに次第に毒気を抜かれていった。キャロルにとっては、アデルは生まれて初めて、対等に話をする相手だったのだった。一方で、アデルはキャロルの生い立ちをおかしいと感じていた。同じ人殺しの道を歩んだけれど、自分はキャロルと違ってベネデッタがいた。でもキャロルには誰もいないではないか。それは愛し、愛されるということだろうか、とアデルは思った。

 処刑の日が近づいてきた。アデルは、死んでも良いと思っていたはずだったが、頭に浮かぶのはベネデッタの姿ではなく、キャロルの声になっていた。どういうわけかアデルは、死にたくない、と思った。アデルがキャロルに処刑が怖くないか尋ねると、キャロルは答えた。

「私は良いけどさ、貴女が死ぬのはなんか嫌だな。」

 本当に良いのだろうか? キャロルに死んでもいいと思える理由なんて、あるのだろうか?

 処刑の日、看守から次のようなことが言い渡された。恩赦が出て、同日に収監された三人からランダムで選ばれたひとりが処刑を免れるという。しかし囚人は自分が助かるかどうかは教えてもらえない。アデルは、看守にこのように尋ねた。「ベネデッタとキャロルのどちらが処刑されるか教えてくれ。」

 看守は「Cが処刑される。」と教えてくれた。

 自分かベネデッタのどちらかが生き残れば、約束が果たせる。ベネデッタが生きてくれれば、きっとそちらの方がいい。いや、自分はさっきあんなにも生きていたいと思ったばかりだ。では自分が助かる確率が 1/3から1/2に上昇したことが喜ばしいのか。どちらにせよ、喜ぶべきだ。アデルは喜んだ。耳を塞いで。

 Aが喜んだのは正しいだろうか。


解答例

正しい。アデルのキャロルへの感情は一時の憐憫に過ぎない。共に育ったベネデッタとの約束を違えないのが、最も喜ばしいはずだ。

正しくない。自分では分からずとも、アデルはキャロルを愛していた。愛を失って、喜べるはずがない。

正しい。キャロルの願いは、今やアデルに生きてもらうことだけだ。別れは辛くとも、アデルはそれに応えなければならない。

正しくない。もはやキャロルもベネデッタも、同じくアデルの大切な人だ。処刑されるのが誰であれ、それは悲劇である。


あとがき

 数学の問題と言えば、正解が知りたいと思うのが人情である。しかしもうお分かりの通り、百合に1つの正解なんてないのだ(たまに不正解はありますが)。自分の百合的直観、そして先生との話し合いとかハッシュタグとかアロマデフューザーとかを使ったりして、正解を考えて欲しい。

おまけ:リンダ問題

 リンダは女子高生で、髪の毛を金髪に染め、スカート丈を短く切り詰めている。ピアスをつける等、派手な装飾品を好んでいるようだ。

 彼女は、頻繁に「いい男いないかな~」「カレシとか欲しいんだけど」と発言していた。

 最近隣の席になった、よくひとりで本を読んでいる少女と話しているのを見かける。

 次の記述のどちらの方が、より可能性が高いか。

 A.リンダはギャルである。
 B.リンダはギャルで、本当は女の子が好きである。

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