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蓮ノ空の百合は未来を語る

*この記事は「ラブライブ!蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ」のコンテンツ全般のネタバレを含みます。


前書き

 この記事では、『ラブライブ!蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ(以下、蓮ノ空という)』について、私が好きだと感じたところを中心に、紹介を兼ねて書いていきたいと思います。蓮ノ空は、ラブライブ!シリーズの最新作なだけあって優秀な「アイドルもの」でもありますが、「百合」の側面から見てもとても面白くて感動的な物語を展開しています。この「百合」に焦点を当てて、具体的にはメンバーたちがどのような関係性で結ばれているかを見ていくなかでは、蓮ノ空の物語において大切に扱われているテーマ、つまり「今の大切さ」や「未来への繋がり」などについても触れておく必要があります。
 なぜなら、このテーマを描くにあたっては先輩と後輩の間の関係性が重要な役割を果たしていて、この点はジャンルとしての百合の歴史にも関係があるからです。したがって、この記事は、百合の系譜の脈絡で女の子同士の関係性について考えたあと、その歴史的な繋がりから蓮ノ空を見直すことで、蓮ノ空の持つジャンル的な特徴そのものが物語のテーマを表現するにあたって有効に働いていると見せることを目指します。
 要するに、<百合としての蓮ノ空は、百合の昔と今を繋ぐ延長線上にあり、だからこそ未来を語る物語が輝かしく見えるのではないだろうか>という漠然とした考えを、具体的な説明を加えて述べていきたいということです。長文にはなりますが、ぜひ最後まで読んでいただけると嬉しいです。

蓮ノ空の「今」と「ここ」

 公式Xのヘッダーに載っている紹介文を引用することでこの記事を始めていきたいと思います。

蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブは、1年365日、入学から卒業までの限られた時間の中で、彼女たちと喜び、悲しみを共にし、同じ青春(ルビ:今)を過ごす、リアルタイム「スクールカレンダー」連動プロジェクトです。

ラブライブ!蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ(Link!Like!ラブライブ!
公式 X (@hasunosora_SIC)から

 蓮ノ空は、アプリ・音楽・雑誌・漫画・ライブイベントなどオールメディアで展開しているコンテンツですが、その中心となるアプリ「Link! Like! ラブライブ!」は大きく分けて以下の4つのコンテンツで構成されています。

  • 「With×Meets」:メンバーたちがおしゃべりをしたり企画を持ってきて遊んだりする生放送。可愛い。

  • 「Fes×Live」:メンバーたちによるバーチャルライブ。103期は毎月、104期からは3ヶ月に1回。楽しい。すごい。

  • 「活動記録」:月に1話くらいのペースで更新されるメインストーリー、毎月の出来事を描いている。面白い。

  • 「スクールアイドルステージ」:カードゲーム。難しい


『大沢 瑠璃乃生誕祭!』2023.8.31
『徒町の個人配信です!』2024.06.03
With×Meets配信ではコメントをしたりギフトを送ることもできる。
103期12月度Fes×Liveの様子。
Fes×Liveにおいては、キャストの方々がリアルタイムで歌って踊っているところを
モーションキャプチャー技術などを活用して配信している。

 ここで重要なのは、私たちが生きているのと同じ日付・時間帯はもちろん、現実の物や空間までを含めて話が進んでいくというところです。私たちが初夏の暑さを感じ始める頃には彼女たちも夏服へと着替え(ちょうど今頃)、「Fes×Live」では金沢駅前や金沢城などを舞台にしてライブを開催し、「With×Meets」では好きな本やアニメ、文房具などについて話してくれます。例えば、日野下花帆さんはWith×Meets配信で好きな本として『ダレン・シャン』『クロニクル千古の闇』『創竜伝』『心霊探偵八雲』『レディ・ガンナーの冒険』などを挙げています。活動記録の中では、104期第2話(5月)で北陸新幹線の敦賀延伸を記念するライブをめぐる色々な出来事がストーリーの主な内容となっていることが良い例なのではないかと思われます。
 こうして彼女たちの世界はバーチャルでありながらも現実との繋がりを持っているのですが、それににとどまらず、物語の内部的な面でも時間の流れは重要なテーマとして扱われています。例えば、3年生の生徒会長だった大賀美沙知さんの卒業(2024年3月)や104期生新入生の入学(2024年4月)などの事件が物語展開における核となっています。現実と物語を、時間と空間の両方で上手く繋いでリアルタイムで展開していくこのような仕組みのおかげで、去年から蓮ノ空を追ってきた私は、彼女たちと同じ速度で1年間を過ごし、その1年間の葛藤や成長を見守ることができました。彼女たちと私の<今><ここ>は同じものだと、自信を持って言えるのです。

蓮ノ空に漂う百合の香り

 私が「蓮ノ空のこと好き好きクラブのみなさん(ファンの正式な呼び方)」の一員になり今も追い続けているのは、リアルタイム性があり没入できるからでもありますが、蓮ノ空の物語が「アイドルもの」である上に「百合もの」でもあるからです。特に、かなり伝統的で昔ながらの百合の香りがどことなく漂っているところが気に入りました。以下ではこの「どことなく」の正体を探っていきたいと思いますが、まずはなぜそう感じたかを簡単にまとめてみました。

  • 蓮ノ空女学院は山奥に位置する全寮制の女学校である

  • 先輩と後輩がユニットという特別な関係で結ばれている

 といったところでしょうか。蓮ノ空に関するネットの書き込みでかの有名な『マリア様が見てる』が言及されているのをたまに見かけますが、おそらく上に挙げた特徴のためかと思われます。これらの形式的なモチーフは、更に時代を遡ると出会える「少女小説(友情小説)」というジャンルに認められます。「少女小説」は知らないという方も『花物語』という作品名や吉屋信子という作家の名前ならなんとなく聞いたことがあるかもしれません。少女小説とは、①文学のジャンルの一つとして少女たちによって享受されていたものであり、②当時(戦前)の少女文化の一部として存在していた「エス関係」を含む女学生たちの間の関係を題材としていました(注1)。
 このエス関係とは何かといいますと、先輩が後輩を誘うことでお互いにとって「特別」な存在になるような関係だったわけですが、これにおいては時代的な背景を考慮しなければなりません。この特徴とは、①婚前の男女が交際することが禁忌とされていたため、エス関係は異性恋愛の代替物として容認されていた点と、②同性間の肉体的な欲望は、病的な倒錯だと考えられることで不可視化され、精神的な面が強調されていた点です(注2)。女学校の中での特別な関係性という、戦前の少女文化・少女小説のテーマはこのような時代背景から生まれたものであり、当時の少女たちと影響を与え合いながら築き上げられたものです。そして、ただの親友としての関係とは区別される特殊な関係性から生まれる、友情、愛情、憧憬、嫉妬、不安、焦燥などの、「相手に向けられる感情」が当時の少女小説の一つの核心だと私は思います。
 そしてもう一つの核心となるのが「少女」という概念です。「少女」とは、《女学校に通っている未婚の10代女性》を意味する言葉でした。戦前の日本では女学校を卒業したらすぐに結婚して母親になることが当たり前だと思われていましたから、「少女」であることの有限性はもっと格別で、とても「儚い」ものでもありました(注3)。少女時代とその時の思い出は儚い美しさと結ばれていたのです。エス関係が美しいものだと思われていたのも、それが確実に終わりを迎える運命にあるという悲劇的な儚さ、そして世の中と分離された女学校という空間が大きな影響を与えたと言えるでしょう。
 戦後になっては、戦前の男女別学体制の解体とともに少女文化も変化を迎え、エス関係を題材とする、友情小説としての少女小説は少なくなっていきました。少女小説は少女を読者とする多様なジャンルの小説へと発展していき、異性間の自由な恋愛や性までをも扱うようになったのですが、しかしながら女の子同士の友情(+α)の物語はしばしば書かれています。ここでよく例として挙げられる作品に『クララ白書(1980)』や『マリア様が見てる(1998)』などがあります。
 面白いことに、『クララ白書』の作者である氷室冴子さんはそれ以前に吉屋の小説を読んだことがあると言っているのに対して、『マリア様が見てる』の作者である今野緒雪さんの場合はそうではないと言っています。それにも関わらず、内容的にエス関係のような関係性を題材としていて少女小説を強く思わせるような小説が書けたのは、少女同士の関係性についてのイメージが過去から積み重なり、文化的に共有されたものが受け継がれていたからではないでしょうか。
 これと同じく、今私たちが一般的に「百合」であると認識しているアニメ・漫画・ゲームの多くが女学校を背景としているのも、決して偶然ではなく、少女小説の形が遺伝子として残っているためだと言えるでしょう。また、「社会人百合」と呼ばれる作品や背景を学園としない作品が多く見られることは、このような伝統の上でたくさんの悩みや変化の試みがあってからこそ現れるようになったのではないでしょうか。要するに、今もそうであると主張するにも、逆に今はそうでないと主張するにも、エスの文化は百合の伝統としての位置にあるのです。
 よって、私は、蓮ノ空は百合の「伝統」を受け継いでいると思います。蓮ノ空には、少女小説の形と物語の遺伝子が残っているからです。具体的には、学生時代という「限られた」時間というテーマが物語の重要な要素として機能していますし、先輩が後輩を誘い特別な関係ー「エス」でも「スール」でもなく「ユニット」という名前の関係ーを結んでいる点で、伝統との繋がりを見つけることができます。また、ユニットという関係で結ばれている2人(3人)、更にはスクールアイドルクラブに所属している6人(9人)のお互いに対する思いがぶつかり合ったり一つになったりすることで物語が進んでいくという点でもそう言えます。
 しかし、蓮ノ空の物語は、先輩として後輩たちに何を伝えて、スクールアイドルクラブが積み上げてきた物をどう良くしてどう残していくかを大きなテーマの一つとしています。先輩と後輩が結んでいる関係は、もう昔のようにただ儚くお互いを愛でて思いをぶつけるだけではなく、もっと未来へ向けて頑張るための関係になっているのです。そして、私がこれをとても魅力的に感じるのは、今時の百合とアイドルの相性をよくする正にそのポイントを突いていると思ったからです。

百合の今とアイドル

 少し脱線してしまうということは否めないのですが、せっかくですからこの「今時の百合とアイドルの相性をよくするポイント」なるものについても触れておきたいと思います。
 上述した通り、そもそもエス文化は戦前の社会という時代的な背景によって生まれて成り立っていたものであり、現代社会は当時とはまるで違う環境になっています。今の百合はもう昔のエス文化や少女小説と同じものだと言えなくなっているのです。そしてこの違いを生み出している要因と、百合とアイドルの相性を良くしている要因は互いに密接な関係にあるのではないかと思います。
 この要因とは、戦前の乙女たちと違って、今の時代を生きる少女たちは色々な可能性を持っているという点です。青春は、もう終わりと断絶に繋がるのではなく、大人になるまで何ができるか考える時期、そして失敗を恐れずに無謀な計画を立てて実行することもできる時間として認識されるようになりました。言い換えれば、何もできずに終わりたくない、<いま>と向き合って頑張ることで輝きたい、という熱望と青春とが繋がることが自然になってきたのです。
 しかし、たった一人で何かを成し遂げることはとても難しいです。同じ方向を目指してひたすら走り続けることのできる友達、相棒、恋人の存在が必要です。苦しくて辛くて挫けそうな時にこそそばにいてくれて、いてあげたいと思えるような相手が居てからこそ青春の挑戦はもっと輝かしいものになります。
 この点で、「アイドルと百合の相性はとてもいい」と私は思います(アイドルに限らずバンドやスポーツなどにも同様のことが言えるのですが)。今のままでいたくない、違う自分になって今のうちに何か残したい、そう思う少女たちが大切な仲間と出会って、お互いの世界を書き換えることでかけがえのない存在となり、やがては彼女(たち)とともに夢を叶える、失敗しても隣には彼女(たち)がいてくれて素敵な思い出が作れた、そんな青春と特別な関係性の物語の可能性が広がるのです。
 しかしもう一つの理由があることも認めぜるを得ません。私自身も、正直なところ、百合が好き・アイドルものが好きな色んな理由の中で、可愛い女の子たちがたくさん出てくるから好きだという理由が大きい部分を占めています。百合は伝統的に少女(でなくとも若い女性)たちを主人公としてきたと上から論じてきているのですが、これが(古臭い言葉ではありますが)萌えの文化とシナジーを起こさないわけがありません。なぜなら、魅力的な少女たちを見つめていたい、自分自身の恋愛はともかく彼女たち同士の関係性や絡み合いを眺めていたい、といった眼差しの欲望にとてもよく合致するからです。
 一方で、アイドルとはそもそもファンの私たちが自らを燃やして送る眼差しなしでは輝けない存在です。消極的ではなく積極的に見つめて、見つめる過程で生じる肯定的な感情を発信していかないとアイドルの輝きは続きません。いわゆる2次元のアイドル(2次元と3次元の境界線がはっきりではなくなっているようにも思われますが)においても、現実的・商業的なレベルの話であるか、それとも感情的なレベルの話であるかに関わらず、同様のことが言えるでしょう(注4)。
 どちらにせよ、蓮ノ空はサブカルチャーの創作者と享受者たちが積み上げてきたものが今の時代(2020年代)と出会ったからこそ花咲いてできたものだと、私は思います。

私と君の今を繋ぐ、そんなストーリー

 話を蓮ノ空の方に戻して、蓮ノ空に漂っている百合の香りが、どこからどんな形でやってきているか、そしてどこへ向かっているかを確かめていきたいと思います。そのためには、やはり、メインストーリーとも言える活動記録での関係性の作り方をテーマにするべきでしょう。このストーリーにおいては、《「ラブライブ!」優勝》という目標を成し遂げることも重要ではありますが、それ以前に「スクールアイドル」という言葉で表現される、メンバーたち自身のアイデンティティについての悩みもとても大事です。なぜなら、スクールアイドルとしての活動は、それだけで少女たちが自分の好きなことをやるための居場所を作ってくれるものであり、自分たちの力で願いを叶えることができるようにしてくれるものでもあるからです。
 ここで重要なのは、自分一人だけではなく、それぞれの思いを抱えている他の子たちの物語と自分自身の物語が繋がるようになり、それを通じて自分自身を探索して語ることができるようになるというところです。言い換えれば、仲間のみんながそばにいてくれること自体が、方向性を示してくれたり、救いにもなったりするということです。
 その中で、仲間は自分自身の<いま>の一部となり、各々の願望をを共有することで強い絆が生まれます。これが蓮ノ空(はもちろんラブライブ!シリーズ全体)における関係性の作り方の基本だと思います。特に注目したいのは、同じユニットで活動するようになった先輩と後輩の間の関係です。以下では、今年3年生になった102期生の3人が後輩たちにどのような感情を向けていて、後輩の存在が心の中でどれだけ重要な意味を持つようになったかを見ていきたいと思います。

2023年第18話『いずれ会う四度目の桜』から(以下2枚)
沙知が梢、綴理、慈に「後輩」について聞く。
一言では表せないと答える梢。

 部長の乙宗梢さんにとって後輩の日野下花帆さんは、一目惚れでもしたかのように惹かれた相手であり、青春の意味そのものです。彼女は、小さい頃にスクールアイドルに接してから強い憧れを抱き始め、ずっとラブライブ!大会で優勝することを夢見てきました。蓮ノ空に入学したのもスクールアイドル活動が活発に行われていたからです。

2023年第15話『夢を信じる物語』から

 しかし、彼女を動かしてきた夢は一回挫折してしまいます。4人体制だったスクールアイドルクラブから同期の慈と先輩の沙知が抜けるようになり、唯一残っていた綴理にもスカウトの話が来ていることに危機感を覚えた梢は、スクールアイドルクラブの存続と大会優勝のために強い措置を取るしかありませんでした。

2023年第8話『あの日のこころ、明日のこころ』から(以下3枚)
梢の回想。
過去の出来事について花帆に話してあげている様子。

 綴理と同等にパフォーマンスをすることを諦めて彼女を目立たせることで、地区予選で勝利を収めようとしたのです。結果として計画は成功したのですが、綴理がこれに大きく失望してしまい、梢と同じ舞台には立たなくなりました。自然にラブライブ!大会の辞退も余儀なくされました。このような状況で迎えた2023年の4月、2年生になった梢が偶然出会えたのが、蓮ノ空に入学したばかりの頃の花帆です。

2023年第1話『花咲きたい!』から(以下2枚)

 この子とならできる、一目でそう感じた梢は熱心に花帆を誘い、スクールアイドルクラブに入部させることに成功します。そして、新入生と復帰した慈を含めて6人になったスクールアイドルクラブのみんなでもう一度挑戦したラブライブ!大会では、決勝までは進出できたものの惜しくも敗退となってしまいました。色々な葛藤や苦難を乗り越えて進出できたからこそ優勝できると思っていたであろう梢は、絶望と悔しさに耐えられず、誰もいない部室で一人ひっそりと涙を流していたのですが、花帆に見られてしまいます。

2023年第15話『夢を信じる物語』から(以下4枚)

 梢は花帆に支えられてきたことに改めて気づき、彼女差し出した花を受け取りました。ただの可愛い後輩だった花帆はこの時梢の中にぐんと踏み込み、一生の夢を叶えることは「この子とならできる」から「この子と一緒にやりたい」へと変わったのです。何もないなんてことはない、私には花帆がいるから、そう思えるくらいに梢の中の花帆の存在は大きくなりました。

2023年第18話『いずれ会う四度目の桜』から。
沙知の質問に対して、「スクールアイドル」と答える綴理。

 夕霧綴理さんにとって後輩の村野さやかさんは、自分自身を「スクールアイドル」として「ここにいてもいい」と思えるようにしてくれた存在です。そもそもの性格が人懐っこくて寂しがり屋の綴理の考えでは、スクールアイドルとは仲間と一緒ではないといけません。しかし、一年生の時には沙知と慈がいなくなり、ラブライブ!大会に一緒に出場した梢は綴理と同じ立場で踊ることを諦めてしまいました。

2023年第5話『顔を上げて』から(以下6枚)

 一人ではどれだけ踊ってもダメで、せっかくできた後輩のさやかとも上手く一つのユニットとして息を合わせることができない、だからボクはスクールアイドルにはなれない、綴理はそう思い込むようになりました。相手のことを考えたり他にも色んなことを思っていたりしても、それを上手く言葉にして伝えることが苦手な綴理は、さやかとのユニットとしての活動が上手くいかないことも自分のせいにして落ち込んでしまいます。

 しかし、高校に進学してからどう頑張ればいいか、ちゃんと成長できるだろうかと悩んでいたさやかには、綴理とスクールアイドルクラブの存在そのものが救いでした。彼女にとっての綴理は、見る人の目を引き希望を与えることのできる存在、その隣に立つために頑張ることを目指して自分自身を止まらず動かすようにしてくれる存在、つまりスクールアイドルだったのです。

 さやかの存在が綴理を本物のスクールアイドルでいられるようにしてくれたとも言えるでしょう。そんな彼女は、綴理と同等に歌って踊ることができるほどの才能の持ち主でありながら、彼女自身のスクールアイドル夕霧綴理を一人にしないためにいつもがむしゃらに頑張ります。そうやってさやかはだんだん成長していき、これを見ている綴理はむしろ自分が「置いていかれる」のではないかと不安を感じるようになってしまいます。

2023年第13話『追いついたよ』から(以下9枚)

 この「置いていかれる」という不安は、元々ユニットの相方をしてくれていた先輩の沙知が突然スクールアイドルクラブを辞めてしまい、梢と二人きりになってしまったことに起因しています。スクールアイドルとしての活動は、コミュニケーションを取ることが下手な綴理が他人と一緒になることで居場所を得たと感じられるようにしてくれるものですから、ユニットの相方に「置いていかれる」のは、彼女には存在そのものに対する危機感に繋がるほどの重大な問題です。

 さやかにこの気持ちを打ち明けた綴理は、言葉にして伝えることの重要性に改めて気づきます。そして、自分を置いて行ってしまったと思っていた相手であり、話すことを拒否して避けてきた沙知と話し合うことを決めます。置いていかれないように追いつくためには、ただ頑張るだけではなく、互いに分かり合うようにしなければならないと分かったのです。

 そのおかげで、沙知が好きで綴理たちを置いてスクールアイドルクラブを辞めたわけではなく、むしろスクールアイドルクラブを守るために仕方なく正しいことを選ぶしかなかったということ、そして沙知がスクールアイドルクラブの後輩たちを今でも愛していることが綴理にも伝わるようになりました。

 綴理にとって、さやかと一緒にユニットを組んで活動することはそれ自体で存在証明であるのはもちろん、こうして過去の傷と向き合うことで、それを克服できるようにもしてくれたと言えるでしょう。その存在なしでは今の夕霧綴理について語れないくらい、さやかは大切な人になったのです。

2023年第18話『いずれ会う四度目の桜』から(以下2枚)
慈にとって、瑠璃乃は「全部」である。

 藤島慈さんは元々子役で、蓮ノ空女学院には教養を身に付けさせたがっていた大人たちによって入れられました。当時の慈はただ可愛い自分に陶酔しスクールアイドル活動を舐めていて、沙知に配信を勧められたのもただ自分が芸能人としての適性を持っているからだと思っていました。

過去の慈が初めてWith×Meetsで配信をして時の様子。

 しかし活動を続けていくなかで、ファンたちを夢中にさせ「楽しい」という声を聞きたいという子供の頃からの夢に再度目覚めるようになります。それなのに負傷とトラウマのせいでステージの上では踊れなくなり、スクールアイドルクラブを辞めて関わることを避けていたところ、幼馴染の瑠璃乃がカリフォルニアから帰ってきます。

2023年第9話『ルリ・エスケープ』から
2023年第10話『ルリめぐ・ファンファーレ』から(以下4枚)
子役になった慈と電話で話している子供の頃の瑠璃乃。

 瑠璃乃は子供の頃の慈と「世界を夢中にさせる」という夢を一緒に見ていた相手で、カリフォルニアに行ったのも、子役になった慈と肩を並べられるくらい成長するためで、日本に帰ってきたのも慈と一緒にスクールアイドルとして活動するためでした。そして、慈がもう舞台には上がれなくなってしまったことを知ってからも何度も彼女を説得し、やがては勝手に慈と一緒にステージに上がると宣伝をしておいて一人でライブを始めてしまいます。

 慈は瑠璃乃にライブを見せられ、ステージに駆け上がります。楽しそうに歌って踊っている瑠璃乃に刺激を受けて、負傷のトラウマを克服したのです。そして、ステージに上ってみんなを夢中にさせる、楽しいと感じさせるという夢に再び挑戦できるようにもなり、この瞬間瑠璃乃の存在はただの子供の時の思い出ではなく、今においても欠かせないものになりました。しかし、共に今を頑張っていく中で新たな葛藤が生まれるようにもなります。

2023年第17話『ルリ思う。』から(以下10枚)

 幼馴染であると同時に先輩として瑠璃乃を引っ張っていくつもりでいた慈は、スクールアイドルとしてファンたちをどう楽しませるかをめぐって大喧嘩をしてしまいます。「楽しいが一番」と思っていることは同じでも、慈自身の考える「楽しい」と瑠璃乃の「楽しい」は全く同じものではなかったのです。

 そして瑠璃乃の提案によってシャッフルユニットでライブの開催することになり、二人は一時的に離れることになります。よく周りの人に気を遣っては疲れてしまう瑠璃乃は、そのせいで「充電切れ」になった時の自分のように元気のないファンたちも楽しく過ごせるような空間を作りたいと思い、その計画は見事成功します。しかし、これを見た慈はスクールアイドルとしての先輩である自分が間違っていたと思って悔しがります。

 でも、瑠璃乃が頑張って来られたのはそんな慈が見せてくれた楽しさのおかげです。一度離れて改めて分かるようになったのは、慈と瑠璃乃、二人揃ってでなければみんなを楽しませることはもちろん、スクールアイドルとして頑張り続けることも難しいということでした。思い返せば、慈が子役になってスクールアイドルになったのは瑠璃乃がいたからであり、瑠璃乃がカリフォルニアに留学してはスクールアイドルになるために日本に帰ってきたのは慈がいたからです。彼女たちが今の中で何かを頑張るためには、まずお互いの存在が欠かせなかったのです。

君がいてくれて、出逢えたの

 こうして振り返ってみて改めて思うのは、今は卒業した沙知先輩の存在がとても大事だったということです。沙知先輩は、蓮ノ空の物語が始まった2023年の時点ではもうスクールアイドルクラブには所属しなくなっていたのですが、その前までは先輩として梢、綴理、慈を引っ張ってきて、スクールアイドルクラブを辞めたことも先輩として後輩たちに居場所を残してあげるためだったことを忘れるわけにはいきません。
 そして、沙知先輩自身も誰かの後輩だった時期があって、蓮ノ空の今の物語を昔と繋いでくれます。また、だからこそ、私たちは今の蓮ノ空のみんなの思いがこれからも失われずにー忘れられずに未来へと繋がっていくだろうと信じられます。こうして「スクールアイドル」としての所属感と居場所を形作って残してきたもの、言い換えれば物語を進ませるものは、一言にすると「好き」という気持ちです。歌って踊ることが好き、応援してくれるみんなを笑顔にすることが好き、みんなといることが好き。これが、今までの「ラブライブ!」シリーズでは、スクールアイドルとして「ラブライブ!」に出場し優勝する、「ラブライブ!」に出なくても仲間と一緒に好きなように歌って踊れるなら意味がある、という形で表現されてきました。
 こういうポジティブな「好き」も大事ですが、上にも見てきたように「好き」の本当の力は苦しい時に発揮されます。直視したくない何かがあって、辛くて諦めたい時があるかもしれないけど、大好きな君と一緒ならきっとうまくいく、という信頼が何より重要なのです。スクールアイドルの仲間に対する「好き」は、ただ気に入るとか好みであるとか、そういう軽い言葉ではなく、あなたこそが私のいま・青春であるという意味です。これは、時間の流れー入学、今、進級、卒業、別れーから目を逸らさず、むしろ愛おしく思えるようになったからこそできるのだと、私は思います。1年から2年、年の離れている先輩と後輩の間に築かれている好きの気持ちについて考えてみることは、だからこそもっと重要です。
 このテーマは、変奏を重ねて104期の話にも繋がります。例えば、百生吟子さんは、祖母が何十年も前の蓮ノ空で芸楽部(スクールアイドルクラブの昔の名前)の活動をしていたことがきっかけで入部するようになりました。徒町小鈴さんは、自分自身に対する自信を持つことができず何かにチャレンジして成し遂げたい、そして家族や周りのみんなに認めてもらいたいと思って、スクールアイドル活動を始めるようになりました。安養寺姫芽さんは、慈と瑠璃乃のことを推しているゲーム好きな子で、自分自身の好きをもっと実践して広めたくて二人と一緒に活動をするようになりました。

2024年第1話『未来への歌』から(以下3枚)
百生吟子さん
徒町小鈴さん
安養寺姫芽さん

 それぞれの悩みや思いを持っている子たちが、似たような思いを持って葛藤してきた先輩たちに誘われる、そしてユニットという関係で結ばれて、更には蓮ノ空のスクールアイドルクラブという居場所の中で繋がる、前と似たような話です。しかしこれが素敵だと感じられるのは、やはり私たちが蓮ノ空の去年を共に過ごしてきたから、更にはラブライブ!シリーズの今までの軌跡を知っているからなのではないでしょうか。直接経験した人も、そうでない人も、過去との繋がりを感じることで未来に対する希望を持ち、好きの気持ちはずっと続くと思えるからとも言えるでしょう。
 ありふれた話かもしれないのですが、「昔」を大切にすることと「今」を大切にすることは矛盾しているわけではなく、この2つについて悩みながら語ることによって「未来」を語ることもできると、私は思います。言葉だけではなく、毎日の時間そのものと、その時間があったからこそ作られ特別な意味を持つ歌で、蓮ノ空のスクールアイドルたちは今と未来を語ります。そうすることで、先輩から後輩、更にその後輩へと、思いは形を少しずつ変えながらも伝わっていきます。101期生の沙知先輩のことを全く知らない104期生の3人にも、その思いは彼女が守ってくれたスクールアイドルクラブそのものや102期生・103期生の先輩たちによって伝わっているはずであり、これからもずっと伝わっていくはずでしょう。

2023年第18話『いずれ会う四度目の桜』から(以下4枚)
慈は、沙知の卒業を祝って感謝を伝える曲『抱きしめる花びら』に歌詞を付けている

 蓮ノ空の物語は、先輩と後輩の今が繋がってスクールアイドルクラブのみんなの今が繋がる、そして昔から今へとー今から未来へと思いが繋がる物語です。百合という言葉を定義することはとても難しいのですが、女の子同士の親密な関係性として考えるならば、このようなテーマを持つ蓮ノ空の百合は未来を語ると言えるのではないでしょうか。形を変えながらも百合の伝統を受け継いでいる点でも、先輩たちの今が後輩たちの今と繋がり、その関係の中で思いの種を蒔いて、これからも立派に育って花咲けるように頑張っている点でも、蓮ノ空のメンバーのみんなは未来を見ているのです。
 では、ここで筆を置かせていただきます。最後までお読みいただきありがとうございました。

沙知先輩への愛情と感謝を込めて
文:こげこ


注/参考文献
1) 管聡子 編著(2008)『<少女小説>ワンダーランド 明治から平成まで』明治書院
2) 赤枝香奈子(2011)『近代日本における女同士の親密な関係性』角川学芸出版
3) 今田絵里香(2007)『「少女」の社会史』勁草書房
4) この手の議論については次の本が面白いのでおすすめです:
 香月孝史、上岡磨奈、中村香住 編著(2022)『アイドルについて葛藤しながら考えてみた ジェンダー/パーソナリティ/〈推し〉』青弓社

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